研究課題/領域番号 |
20K00368
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研究機関 | 愛知教育大学 |
研究代表者 |
堂薗 淑子 愛知教育大学, 教育学部, 准教授 (80514330)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 謝霊運 / 山水詩 / 賞 / 仏教思想 / 楚辞 |
研究実績の概要 |
謝霊運の山水詩は強い宗教性を有し、とりわけ始寧に隠棲して以降の作品には仏教思想の影響が強いことが指摘されているが、詩の個々の表現と仏教思想との具体的関係性については未解明の部分が多い。また謝霊運は上清派道教の始祖とされる南岳夫人魏華存の血を受け継いでいるが、謝詩と道教思想との関係もいまだ明確にはなっていない。本研究は個々の詩の表現と仏教・道教思想との関わりを考察し、悟りへと向かうイメージの重層化と表現との関係を明らかにすることによって、「景」と「情」とのこまやかな連関を描く山水詩が成立するに至る過程を解き明かそうとするものである。 そのために令和二年度は謝霊運の山水詩中の『楚辞』を典拠とする表現に焦点を当て、その背景にある宗教意識について検討した。謝霊運の始寧期の山水詩には、仏教上の解脱を希求するみずからの心のありようについて、『楚辞』を典拠とする語を多用することによって描きだすものが複数見られる。『楚辞』表現を多用する詩とそうでない詩には、描かれる宗教体験、宗教意識の内実に違いがあると考えられることから、表現に即した分類を行ってそれぞれ考察を加えた。また謝霊運山水詩に登場する「賞」の語について、研究代表者は宗教上の超越的存在との交感を意味すると考えているが(拙稿「慧遠「仏影銘」と謝霊運の山水詩」)、この論をさらに進展させるため、「賞」の語のあらわれ方が『楚辞』表現とどのように関わっているのかについて分析を加えた。さらに「賞」が使われている詩句について、従来とは異なる解釈が可能かどうかを考察し、解釈上の問題点の整理を行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
現在までの進捗状況は、「賞」を含む詩句について従来とは異なる解釈が可能であるかどうかを検討し、解釈上の問題点の整理を行った段階である。「賞」の語については、慧遠の「仏影銘并序」で説かれていた「筌寄」や「冥寄」のような「よりどころ」との接触・交感がすなわち「賞」であり、その「賞」を通じて仏教上の「理」に到達するという宗教意識が当時謝霊運、および謝霊運周辺で存在していたことを立証すべく考察を進めているが、「山水を賞玩すること」という従来の「賞」の解釈に訂正を迫るまでには至っていない。また令和2年度は、コロナ感染拡大による遠隔授業への対応で多大な時間を要したほか、学会活動も縮小や中止が多く、研究は当初の予定通りには進まなかった。
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今後の研究の推進方策 |
今後は、令和2年度の研究をさらに進めるとともに、謝詩の山水描写にしばしば現れる「何ものかを待ち望む」表現について分析する予定である。主に『楚辞』を典拠として構成されるこれらの表現について、何ものかを待つ過程で目にした景物を中心的に描くことの意味とその表現の特性について考えたい。何ものかを待ち望む心情を詠じる場合には、その者と自分との関係を明示し、その者に対する感情を全面的に描写するのが一般的である。しかしこれらの謝詩で中心をなすのはあくまで景物描写であり、誰を待っているのかは明示されず、待ち望む心情も部分的に詠じられるだけである。ではなぜ「待ち望む」という形の表現が必要とされたのか。令和3年度の研究では、何ものかを待つという心情が「場」の形成に影響を与えること、つまりそこに描かれた風景は、何ものかを待っていたからこそ把握されたものであるという認識が、謝霊運の詩文に認められるかどうかを検討する。 令和2年度は研究発表を行うことができなかったが、令和4年度の春には学会シンポジウムで研究発表を行う予定であるため、令和3年度は本研究をより一層進展させたいと考えている。
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次年度使用額が生じた理由 |
令和2年度はコロナ感染拡大の影響により、当初参加予定の学会がすべて中止、あるいは遠隔での実施に変更されたため、旅費を使うことがなかった。また学会が行われなかったことにより、当初学会会場で購入予定だった図書の一部も購入することができなくなり、次年度使用額が生じた。 令和3年度の助成金は、当初の予定通り魏晋南北朝期の文学・仏教・道教関連の図書購入に多くを充てる予定である。旅費については、もし学会・研究会が対面で実施されれば使用したいと考えているが、今年度どのような形で実施されるかはまだ決まっていない。もし遠隔実施となった場合は、当初旅費に充てる予定だった額を電子商品の購入に充て、用語の検索や分析に活用したいと考えている。
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