本研究は、主に慧遠集団の山水詠と謝霊運詩との関係性を考察したものである。 廬山諸道人「遊石門詩」序と謝霊運「従斤竹澗越嶺渓行」詩は、山水の中で感覚された超越者の応現を描き、その後省察を経て真の悟りに向かうという叙述の流れが完全に一致している。また慧遠「遊廬山詩」と謝霊運「於南山往北山経湖中瞻眺」詩は、独り山水を遊行することによってこそ「理」に通じることができるという認識を共有しており、慧遠にとっての「感応」が謝霊運にとっての「賞」であったことが分かる。山水詠を解脱への契機とする廬山集団の姿勢が謝霊運の作詩に影響を与えて、景と心の相互作用を表現する山水詩を生み出した可能性がある。
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