研究課題/領域番号 |
20K00384
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
阿部 公彦 東京大学, 大学院人文社会系研究科(文学部), 教授 (30242077)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | 聞く / 言語運用能力 / 英語 / 日本語 / 文学 |
研究実績の概要 |
本研究で中心となるのは、19世紀から20世紀へ、さらに21世紀へと時代が進むにつれて、言語をめぐる規範意識はどう変化したかということである。その要因は何だったのか、またメディア装置の発達とも何らかの関係があるのかといったことにも目を向ける。言語運用能力に焦点をしぼりつつ文学作品を検分することで、あらたな知見が得られるものと考えている。 本年度は英米文学および日本文学の作品の中でどのように言語運用能力が扱われてきたか、調査をすすめた。とくに注目したのは、言語運用のどの側面への焦点化が起きているかだったが、その結果、見えてきたのが、「聞く」という行為が登場人物のふるまいにおいてだけではなく、語り手と聞き手、書き手と読者の間でも重要な役割を果たしているらしいことである。 聞く行為は一方で「共感」のありようを示す重要なファクターであり、とりわけ他者への接近の身振りを示すという点で共感的な態度の指標となるが、他方で、聞きつつも理解できないという態度も必ずしも共感の欠如を示すわけではない。むしろ理解できないという不可能性と直面することで他者への配慮は深まる可能性がある。またもう一つの興味深い側面として盗み聞きやまた聞き、漏れ聞こえといった、間接的もしくは非公式の「聞く行為」も文学作品では頻繁に扱われており、注目する価値があることが今年度の調査から明らかになった。 成果物としては、啓蒙書ではあるものの『理想のリスニング ― 「人間的モヤモヤ」を聞きとる英語の世界』の中で、聞くという行為がいかに人間のコミュニケーションにおいて深い役割を果たしているか、いかに他の言語運用能力の基盤を形成しているかといったことを掘り下げている。とくに文学作品との関連でこの問題を扱えたことは大きな成果だと考えている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年とくに目標としていたのは、英米文学作品の中でどのように言語運用能力が扱われてきたかを具体的に確認することであった。とくに、そうした扱いが言語運用のどの側面への焦点化を伴っているかを考察する予定だったが、ある程度、この目標は達せられた考えている。具体的にはJ・M・クッツェー『恥辱』やトマス・ハーディ『カスターブリッジの市長』といった作品における主人公や登場人物たちのコミュニケーションの様子を通して、どのような言語運用能力が焦点化されているかを確認することができた。 こうした調査を通し、「主人公のリテラシー」「人物たちが文学作品などに親しんでいるか」といった着目点にも注意を向けることができ、さらに踏みこんで文学作品への反応ではどのような点が重視されるか、人物への「共感」なのか、「反発」や「分析」なのか、どのような人物像への「共感」が称揚されているのか、といったことも俎上にのせられつつある。このことを通し、背景にある言語観を浮かび上がらせることが可能になるのではないかと考えている。 コロナ禍のため、関連分野の研究者との意見交換は残念ながら思ったほど進めることはできなかったが、主に刊行物を通して情報は集められつつある。こちらからの情報発信も雑誌等のメディアや図書を通して行いつづけおり、ある程度の手ごたえも感じているところである。
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今後の研究の推進方策 |
本年度も前年度同様、「主人公のリテラシー」「人物たちが文学作品などに親しんでいるか」といった点には注意を向ける必要がある。このことを通し、文学作品ではどのような言語運用能力が前景化されるのか、そしてこのことを通し、作品の中で言語的なやり取りをとおしての「共感」や「反発」「分析」といった要素にどれほどの価値が置かれているかといったことも明らかにしたい。 本年度は、前年行った研究に加え、日本語文学作品における言語運用能力の表象の検討も行う。日本における近代小説というジャンルは西洋小説のあきらかな影響をうけて形成されたものなので、日本語文学の中で、西洋的な言語運用能力へのこだわりがどのように消化されていったかを確認することは、日本における外国語・外国文化の受容といった観点からも興味深い論点を提供するものと考えている。 すでに2020年の3月に刊行した『名場面で味わう日本文学60選』(徳間書店)という書物では、普段から交流のある作家、翻訳家、批評家とともに日本文学の「場面」を分析することを通し、そもそも「場面」というものが文学作品の中でどのような役割を果たしているかといったことにも考察をすすめることができた。場面の持つ一回性の中で、言葉のやり取りは一定の緊張感とともに記録されるとともに、そこで失われたものや、逆に発見されるものにも注目が集まる。文学作品の「場面」の分析は、こうした形で言語運用にあらたな角度から光をあてることにつながるのではないかと期待している。
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次年度使用額が生じた理由 |
研究はおおむね順調に推移してきたが、2019年度に学内で重職についたため、当時行っていた別の研究について予想外の障害が生じ、また2019年度3月に予定していた活動も、コロナ問題のために先送りせざるをえず、翌年に研究期間を延長することになった。従って、2020年度にはそのやり残した研究にまとまりをつけざるをえなくなり、本研究に割く時間が結果的に減ることになった。 前年度までの研究には、本年度からの研究と重なるところもあるとはいえ、コロナ禍でことごとく研究会や学会が中止となったため、予定していた旅程もとりやめざるをえなくなっている。こうした状況の中で本研究で計画していた研究会等も、ごく一部しか行うことができず、結果的に使用額を繰り越すことが合理的と判断した。
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