研究課題/領域番号 |
20K00408
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研究機関 | 東北大学 |
研究代表者 |
大河内 昌 東北大学, 文学研究科, 教授 (60194114)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 批評理論 / 脱構築批評 / 新批評 / 構造主義 / 思想史 / 虚構論 / ポスト構造主義 / フォルマリズム |
研究実績の概要 |
昨年度までの研究においては、脱構築批評を代表するアメリカの批評家ポール・ド・マンの「文学性」の概念を分析・評価した。ド・マンが文学性に関する思想を展開したのは「理論への抵抗」と題された論文である。彼によれば、文学性とは言語テクストに内在する言語的性質であり、それは特定の「理論」によってのみ発見できる。そして、その理論は文学研究の方法論に構造主義言語学の用語を導入したときにはじめて誕生したのである。構造主義の功績は言語記号と指示対象を切り離すことによって、言語学的な側面からしか理解できない言語内在的なパターンを記述することを可能にしたことである。実証主義や解釈学といった伝統的な文学研究は文学性を、その内容つまり指示対象という観点から理解しようとしてきた。だが、文学性を文学作品の意味内容に求めてもそれはけっして発見できない。文学性とは言語テクストを自律した構造体として見たときにのみ理解可能となる言語特性なのであり、それを解明するためには、作品の意味を現象や直観と見なす美学的な理論を文学研究から放逐しなければならないのである。そして、それを可能としたのが構造主義言語学に基づく文学理論なのである。だが、こうしたド・マンの「文学性」の概念の妥当性と可能性を十分に理解するためには、彼の批評実践を検証する必要がある。そこで、昨年度はド・マンの主著である『読むことのアレゴリー』で展開されたテクストの分析(とくにルソー研究)を精読し、彼の文学性の概念の射程を探った。注目したのは彼が一般には文学テクストと見なされていない哲学や政治学のテクストに文学性を見出したことである。ド・マンの実践的批評を精読することで、彼がテクストに内在する意味の多義性や「決定不可能性」を文学性と見なしていることがわかる。昨年度はこの研究で得た洞察を論文として公表することができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
これまでは「文学性」の概念のもっとも洗練されたかたちを提唱した脱構築批評家であるポール・ド・マンの批評の構造を分析してきた。ここまでの研究で、彼の批評理論の構造だけでなく、それが英語圏の文学研究の歴史のどういう文脈のもとに出現したのかを考察し、それを解明することができた。昨年度に公表した論文においては、二十世紀とくに第二次大戦以降における英米の大学における文学の研究と教育において「文学性」の概念がどういう役割を果たしたのかを跡づけ、その文脈の中にド・マンの批評を位置づけた。そして、「文学性」という概念が一定の歴史的役割を果たし終えて、現在ではほとんど話題とならない現状となっている状況を確認した。
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今後の研究の推進方策 |
昨年度までは、「文学性」に関する研究の最新段階を分析・解明することに力を注いできたが、今年度はその萌芽期における初期形態を研究する。主な研究対象となるのはマシュー・アーノルドとオスカー・ワイルドである。彼らに注目するのは、彼らの文学批評が展開された19世紀半ば~19世紀末の時期は、英米の大学において文学研究の制度化・学問化が進展した時期だからである。現在でも、大学における学問制度としての文学批評とその外部のジャーナリズムにおける文学批評はきわめて微妙な関係性の中で共存している。文学研究の萌芽期であるこの時期の文学批評の理論と実践を分析・検討することによって、現在の文学研究が陥っている困難と可能性を探ることができる。今年度はとくにワイルドの批評における「文学性」を解明し、それが文学研究そのものが持つ矛盾を意図的に露呈させたものであることを証明する予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナウィールスの蔓延により、一昨年度に引き続き昨年度も、予定していた資料収集と成果発表のための出張をまったく行うことができなかった。状況が改善したら計画を実行する。
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