研究課題/領域番号 |
20K00420
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研究機関 | 慶應義塾大学 |
研究代表者 |
英 知明 慶應義塾大学, 商学部(日吉), 教授 (60218518)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | シェイクスピア / 書誌学 / 書物史 / 本文研究 / ファースト・フォリオ |
研究実績の概要 |
昨年度は、『シェイクスピア作品集』初版(1623、First Folio、以下Fと略記)に焦点を当て、先行研究で未だ充分な光が当てられていないFの植字と印刷に関する新たな研究を行った。とりわけ注力したのは、『トロイラスとクレシダ』の冒頭ページの印刷に大きな影響を与えたジャガード印刷所における印刷の遅れや、植字工によって引き起こされた不規則なテクストの生成についてであった。
今年度はその研究と密接な関係にある『ロミオとジュリエット』の最終ページについて、更に深く印刷過程を探究し、新しい考察を深めた。ジャガード印刷所では、当初の予定に無かったアクシデントが原因で、Fの印刷が数週間遅れ、結果、Fは第一刷から第三刷までに漸次分かれて出版されるという予想外の展開を引き起こした。とりわけ第二刷においては、第一刷で作成したが廃棄が決まったページを「再利用」せざるを得ない状況が発生し、そのため『ヘンリー八世』と『トロイラスとクレシダ』との間に、『ロミオとジュリエット』の最終頁が紛れ込むこととなり、その1ページに印刷所が大きな「×」印を付して刊行したため、ジャガード印刷所にとって印刷技法上の大きな瑕疵を残した。
またこの最終頁は二人の異なる植字工によって植字され、新旧二度の印刷を経ているため、彼らが生み出した「本文上の差異」が多く見られ、その問題点についても詳細に論じた。この研究は2023年10月の日本シェイクスピア学会で口頭発表され、英語論文に纏めたものが英国有数の学術誌 The Library にアクセプトされ、2025年に刊行されることが決まっている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
「研究実績の概要」で示した通り、Fに掲載された『ロミオとジュリエット』については、英国の著名なジャーナルに英語論文が採択された事実が示す通り、世界的レベルの研究を果たすことが出来た。印刷所におけるFの生成の過程をこれまで以上に精密に探索し、未解明な部分を見つけ出し、問題点を拾い上げ、先行研究には無い独自のオリジナルな研究を打ち立てたことは、本研究の重要な核心部分の一つである。こうした印刷所における演劇本の書誌学的探究を、本研究が「印刷所の芝居」と呼ぶ所以である。100年以上の歴史を持つ The Library誌に、シェイクスピア関連で論文を載せた日本人は初めてで、この事実は一定の評価に値するものと思われる。
他方でもうひとつの重要な研究テーマ、すなわち印刷所の書物が書棚に並ぶまでの複雑なプロセスについての考察にまでは、上記の英語論文作成に伴う時間の制約もあり、手が回り切らなかった。シェイクスピア作品は、上演後に印刷・出版され戯曲本となり、それが読者に購入され、演劇研究者や愛好家、書物のコレクターの手に渡るなど、それぞれが個別で固有の歴史を持ちながら「書棚の戯曲」としての歴史を重層的に育んでいる。そうした歴史を辿ることも本研究の主眼のひとつに設定していたが、COVID-19 の五類移行後とは言え、今年度もコロナの影響を受け、またロンドンの治安の悪化も報道されていたため、海外出張が思うように実現できなかった。また質の高い古書の流通が滞り、結果的に有力な資料を入手出来ず、またオークションなどへの出品も思った以上に低調であったことなども、進捗状況が遅れる原因となった。
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今後の研究の推進方策 |
2024年度は、シェイクスピア関連本について「書棚の戯曲」の視点からの探究を進める予定である。著名なコレクターや有数のコレクションについての情報を集め、印刷後の戯曲が辿る「その後の歴史と運命」について考察を深める。
また上記と並行して、これまで継続してきた「印刷所の芝居」にもより一層広範な視点から探究を深める。とりわけFおよびそのリプリント版が印刷所でどのようなプロセスを経て製作、出版されたかを詳細に検証する。特に「Fの第5版」と現在呼称されている書物について、『ロミオとジュリエット』を例に挙げて、これまでの研究の正当性と疑問点を精密な研究から明らかにする。この研究も従来と同じく、口頭発表または論文として発表する予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
次年度使用額が生じた主たる理由は、COVID-19の五類移行後とは言え、依然として残るコロナ禍で研究活動が制限され、ロンドンの治安悪化情報もあり、渡英の予定が実現しなかった点が大きい。また同じ理由から、研究対象となり得る上質の古書がマーケットに現れず、それらの入手が滞った点もある。
2024年度は、コロナ禍の回復経過を観察しつつという条件付きではあるが、本来の研究計画に追いつくべく尽力したい。
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