研究課題/領域番号 |
20K00436
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研究機関 | 一橋大学 |
研究代表者 |
川本 玲子 一橋大学, 大学院言語社会研究科, 教授 (60345460)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 物語論 / フォード・マドックス・フォード / 野矢茂樹 / 小説論 / 共感 / 視点 |
研究実績の概要 |
2020年度においては、海外でのリサーチや学会参加は実現しなかった。しかし、文学的・文化的テキストを題材として、人物理解や物語解釈のプロセスにおける心的作業の分析に、共感や感情移入の働きに関する認知心理学の知見、および心と他者をめぐる野矢茂樹の哲学(眺望論・相貌論)を応用するという研究計画については、2020年5月刊行の単編著『ジェンダーと身体ーー解放への道のり』(小鳥遊書房)に収録された論文2編、「第七章 フォード・マドックス・フォード『パレードの終わり』における男性性と身体」および「第十章 共感と視線――ハナ・ギャズビー『ナネット』と未完の物語」において、やや分割的な形ではあれど、かなり具体的に実現されたと考える。 まず「『パレードの終わり』における男性性と身体」では、フォードの四部作を扱い、作家の草稿と完成稿を比較しながら、作家による言葉遣いの細やかな変更や削除、物語中の場面の位置変更等に注目し、また作家自身の伝記的事実を参照しながら、男女の登場人物のあいだに起こるさまざまな感情が、当時の英国社会におけるジェンダーの固定観念からの強い制約と抑圧の結果、(性的な)嗜虐性といった歪んだ形で噴出するさまを分析した。 次に「共感と視線」では、オーストラリア出身のレズビアンのコメディアンであるハナ・ギャズビーによるステージ・パフォーマンス『ナネット』(ネットフリックスにて有料配信)をとりあげ、LGBTQを含む周縁化された個人の物語の歪曲や矮小化と、かれらに対する共感の欠如との関係を、前々アメリカ大統領バラク・オバマが掲げた「共感の共同体」とも呼ぶべきアメリカ社会像とからめつつ、共感の認知心理学と野矢の眺望論・相貌論を参照しながら分析した。 いずれの論文でも、筆者独自の物語論の枠組みを明らかにしているとはまだ言えないが、そのための重要なステップであると考える。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2020年度は新型コロナウィルスの影響で、海外への調査出張や学会参加は残念ながら一切行えなかった。このため、予定していたフォード・マドックス・フォードの手稿やその他の文献にあたることはできなかった。(具体的には、米国ワシントン大学およびコーネル大学所蔵の書簡類、小説や詩の草稿、フォードが手がけた文学雑誌に寄稿された他の詩人・作家の手稿等。) しかし、2020年に書籍として出版された上記のフォード論文では、既存のフォード作品について、すでに入手していた草稿を参照しつつ、いわゆる認知バイアスが、恋人同士を含む他者同士の間の相互理解を阻み、感情を歪ませるプロセスについて分析を行うことができた。(ちなみに草稿を参照することの重要性は、完成稿と比較の比較を通じて、作者による言葉遣いの微調整の過程を知り、作家が読者に対してどのような印象づけの効果を狙っているのかを具体的に理解することにある。)また『ナネット』に関する論文では、文学作品ではなく、コメディアンによる舞台パフォーマンスが題材ではあったものの、物語理解と視点、共感の関係を、野矢茂樹の眺望論・相貌論を用いて分析し、ジェンダー/セクシュアリティーに関する既存の固定概念が認知バイアスを生むことで、他者への共感を妨げる仕組みを明らかにするとともに、人間が他者の物語を知ろうとし、これを共有することの必要性について考察することができた。
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今後の研究の推進方策 |
2019年には『パレードの終わり』シリーズの第2作にあたるNo More Parades (1925)のタイプスクリプトの写真データをマサチューセッツ州立大学ボストン校が併設するJ・F・ケネディー図書館で収集した。残りの3作のタイプスクリプト、およびフォードの書簡、小説の書評等の関連文献は、コーネル大学図書館、テキサス大学オースティン校ハリー・ランサム図書館、およびプリンストン大学図書館に分割して所蔵されており、これらの図書館を訪問し、一次資料を収集したいと考えているが、これはおそらく2022年度まで待たなければならない。また、いずれも通常であれば毎年開催される国際フォード・マドックス・フォード学会、物語論研究で知られるオハイオ大学英文学部主催のThe International Society for the Study of Narrative、及び物語論関連の主要な学会であるブカレスト大学英文学会等の大会に参加し、発表の機会を得たいが、これも2021年度中に実現できる見通しはない。(バーチャル学会が開催されるものもあるが、時差と大学での勤務スケジュールの関係で、参加は難しい。) したがって、引き続き写しが手元にある草稿を参照しつつ、物語論・認知心理学・他者論の理論を用いての文学テキスト分析を、さまざまな題材について行う予定である。なお、現時点ではカズオ・イシグロの諸作品を題材に、個人および共同体にとっての記憶とその表象について考察する論文に着手している。ここでも、2020年度に引き続き、既存のジェンダー意識と、ジェンダー間の共感(と失敗)との関わりを探っていきたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナウィルスの影響で、海外渡航が不可能となり、予定していた海外での文献収集および学会参加などが行えなかった。2021年度中にはまだ難しいと思われるが、科研費(2020-2022)執行の最終年度には、コーネル大学図書館、テキサス大学オースティン校ハリー・ランサム図書館、およびプリンストン大学図書館での一次資料を収集したい。また、国際フォード・マドックス・フォード学会、物語論研究で知られるオハイオ大学英文学部主催のThe International Society for the Study of Narrative、及び物語論関連の主要な学会であるブカレスト大学英文学会等の大会に参加し、できれば発表の機会を得たいと考えている。
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