研究課題/領域番号 |
20K00496
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
永盛 克也 京都大学, 文学研究科, 教授 (10324716)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | アナグノリシス / フランス古典悲劇 / フランス17世紀演劇 / ラシーヌ / レパートリー |
研究実績の概要 |
本研究はアリストテレス『詩学』の主要概念である「ミメーシス」をもう一つの主要概念である「認知=発見(アナグノリシス)」と関連づけることによってフランス古典悲劇における創作と受容の両面について考察を行うことを目指すが、本年度はまず17世紀フランス演劇の創作の前提条件であると同時に、観客における受容を方向づける作用を果たしている「レパートリー」の概念に注目した。フランス古典演劇における「レパートリー」概念の起源は17世紀パリの劇場間の競合関係が生んだ上演慣習の一つ、つまりライバル劇団の作品と同名・同主題の劇をほぼ同時期に上演するという戦略にみることができるのではないか、という仮説を特にラシーヌの例を通じて検証した。 このいわゆる「演劇戦争」は特に17世紀前半においては純粋に商業主義的な競争という性格をもっていたが、17世紀後半におけるラシーヌの劇作家としてのキャリアもまたこの劇場間の激しい競合という文脈の中で展開されることになる。特に重要と思われるのがラシーヌにおいて観客にとって既知である主題の選択が意識的に行われている点である。悲劇の主題を選択するにあたって古今さまざまな作品が全体で大きなコーパス、あるいは「レパートリー」を構成していると考えた場合、劇作家の仕事とは既に扱われた題材と近接した部分を切り取って劇の主題にすること、観客にとって既知である事実(物語の大筋)と細部における創作・変更とを巧妙に組み合わせることである。劇作家にとってそれは既存の作品への目配せ(観客に「再認(アナグノリシス)」の喜びを与えること)であると同時に、自らの独創性の主張ともなりうる。ラシーヌが劇場間の競合関係、そして他の劇作家との競争関係の中に常に身を置きながら、常にこの「レパートリー」を意識して創作を行っていたという論点を『ベレニス』におけるコルネイユとの競合の例などを取り上げて論証した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
16世紀および17世紀のイタリア、オランダ、フランスの理論家が詩学における「認知」の概念をどう理解していたかを明らかにするため、アリストテレス『詩学』の翻訳・注釈書、およびそれをふまえた詩学・悲劇論の該当箇所を比較・検証することを本年度は予定していたが、新型コロナ感染拡大の影響で、フランス国立図書館における資料の閲覧および収集を行うことができなかった。また、本研究課題についてフランスの研究者と直接意見交換を行うこともできなかった。したがって、フランス17世紀の詩学における「認知」の概念についての比較・検証作業はやや遅れることとなった。 その一方で、当初2年目の研究計画の中で予定していたフランス17世紀前半から後半に至る劇作法の変遷についての研究を進め、一定の成果を得ることができた。特に劇の主題の構想(レトリックにおける「発想」)の段階において、劇団や劇作家の間において共有される広義の「レパートリー」から類似・近接したテーマが選択されるという実践例に着目し、この現象を17世紀前半の劇場間の競合関係の文脈の中に位置づけた上で、17世紀後半の劇作家ラシーヌが関与するいくつかのケースを検証し、そこには観客による受容(「再認(アナグノリシス)」の喜び)を十分に意識した戦略的姿勢と同時に自らの劇作法の独自性に対する自信がみられること、さらにこのような実践がのちに「フランス古典悲劇」と呼ばれることになるジャンルの論理、つまり限定された主題群から選択された類似のテーマをもつ作品が微妙な差異の優劣を競うという美学を準備していることを指摘することができた。
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今後の研究の推進方策 |
当初1年目に計画していた通り、16世紀および17世紀のイタリア、オランダ、フランスの理論家が「認知」の概念をどう理解していたかを明らかにするために、アリストテレス『詩学』の翻訳・注釈書、それをふまえた詩学・悲劇論の該当箇所の比較・検証作業を進めていく予定である。そのために、可能であればフランス国立図書館等で資料調査と資料収集を行うことにする。 また、「認知」の概念を手掛かりにして、コルネイユ悲劇とラシーヌ悲劇における「結末部」の比較・検証作業を進めていく予定である。コルネイユ劇とラシーヌ劇の本質的差異を検証することは本研究課題において重要な部分を占めることになる。 万一、フランスでの資料調査・資料収集の実施が困難である場合、また本研究課題について助言を求める予定であるフランスからの研究者の招聘が困難である場合は、当初3年目に計画していた「認知」概念の解釈の拡大についての仮説の検証作業を前倒しする形で進めていくことにする。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナ感染拡大の影響で海外文献調査を実施することができず、外国旅費の執行がなかったために次年度使用額が生じた。当該助成金については今年度分の助成金と合わせて外国旅費として使用する計画である。
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