研究課題/領域番号 |
20K00496
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研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
永盛 克也 京都大学, 文学研究科, 教授 (10324716)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | アリストテレス / 詩学 / 認知 / コルネイユ |
研究実績の概要 |
本研究はアリストテレス『詩学』の主要概念である「ミメーシス」をもう一つの主要概念である「認知=発見(アナグノリシス)」と関連づけることによってフランス古典悲劇における創作と受容の両面について考察を行うことを目指すが、本年度は「認知」の劇的機能の分析という観点から、「人違い」quiproquo の原則に立脚したプロットにおいて「認知」が果たす機能をフランス17世紀の演劇作品において検証した(正体不明の登場人物を鍵とするプロットを特徴にもつ悲喜劇をも考察の対象とした)。不明であった登場人物の正体が「認知」されることにより錯綜したプロットの解決がもたらされる劇構造はアリストテレス的ともいえるものだが、例えばコルネイユの悲劇『エラクリユス』(1647)においてこの「認知劇」のパターンがくつがえされていること、主人公の正体をめぐる謎を主題とした劇でありながらその「結末」においては「認知」にいかなる役割も与えられていないことを指摘した。その理由として、コルネイユにとっては結末を「できるだけ最後まで後退させる」ことが重要であったが、このサスペンスの必要性と「認知」の場面を両立させることは物理的に不可能であること、それゆえコルネイユはアリストテレスにおいて密接に関連付けられていた「認知」と「逆転」をあえて切り離したことを指摘したうえで、無知あるいは理性喪失状態でなされる行為を拒否し、確固たる意志によってなされる行動を重視する点にコルネイユ悲劇の本領があると結論した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
16世紀および17世紀のイタリア、オランダ、フランスの理論家が詩学における「認知」の概念をどう理解していたかを明らかにするため、アリストテレス『詩学』の翻訳・注釈書、およびそれをふまえた詩学・悲劇論の該当箇所を比較・検証することを本年度は予定していたが、新型コロナ感染拡大の影響が続き、フランス国立図書館における資料の閲覧および収集を行うことはできなかった。また、本研究課題についてフランスの研究者と直接意見交換を行うこともできなかった。したがって、フランス17世紀の詩学における「認知」の概念についての比較・検証作業はやや遅れることとなった。 その一方で、当初3年目の研究計画の中で予定していたフランス17世紀前半から後半に至る劇作法の変遷についての研究を進め、一定の成果を得ることができた。特にプロットの解決後は観客の関心は劇から離れてしまう、と考えるコルネイユが「認知」の場面に重きをおかない一方で、ラシーヌ悲劇においては多くの場合第4幕に「認知=発見」の場面が置かれ、その後で結末部が展開される構造になっている点について具体的な分析を進めることができた。コルネイユ劇において結末における「逆転」が重視される一方で、「認知」の場面は観客に驚きを与えないという理由、また劇の最終局面に限定されるため、あわれみの情を惹起するのに十分な長さがない、という理由で退けられるのだが、ここでコルネイユが「認知」を軽視するのは、彼の劇において主人公には認知すべき過失が負わされないからであり、登場人物と観客の最大限の同一化が求められるからではないか、という仮説を検証することができた。
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今後の研究の推進方策 |
当初計画していた通り、16世紀および17世紀のイタリア、オランダ、フランスの理論家が「認知」の概念をどう理解していたかを明らかにするために、アリストテレス『詩学』の翻訳・注釈書、それをふまえた詩学・悲劇論の該当箇所の比較・検証作業を進めていく予定である。そのためにフランス国立図書館等で資料調査と資料収集を行うことにする。 また、「認知」の概念を手掛かりにして、コルネイユ悲劇とラシーヌ悲劇における「結末部」の比較・検証作業を進めていく予定である。コルネイユ劇とラシーヌ劇の本質的差異を検証することは本研究課題において重要な部分を占めることになる。さらに、「認知=発見」概念の解釈の拡大についての仮説の検証作業を進めていくことにする。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナ感染拡大の影響で海外文献調査を実施することができず、外国旅費の執行がなかったために次年度使用額が生じた。当該助成金については今年度分の助成金と合わせて外国旅費として使用する計画である。
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