未来派の舞台芸術に関する宣言文等の理論的著作や「綜合演劇」を中心とする劇作法の綿密な検討から、未来派演劇における身体性の抽象化・機械化とは、同時代の機械信仰や遍在的で相互浸透した時空間の認識に基づき、そうした時代に適応した身体表象への変容を求めた結果であったことを明らかにした。そうした身体表象を獲得するために、交換可能な身体のパーツや機械と共通の言葉、思考や感情の抽象的な可視化が志向されたのである。また、こうした身体表象の志向は、20世紀前半の前衛芸術における奔放な主観の氾濫と反動としての個の否定と事物主義という主観と客観の認識をめぐる問題にも還元できることを指摘した。
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