研究課題/領域番号 |
20K00499
|
研究機関 | 九州大学 |
研究代表者 |
福元 圭太 九州大学, 言語文化研究院, 教授 (30218953)
|
研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
|
キーワード | リヒャルト・ゼーモン / ムネーメ / 記憶の遺伝 / アウグスト・ヴァイスマン / アビ・ヴァールブルク / カール・グスタフ・ユング / ムネモシュネ / 集合的無意識 |
研究実績の概要 |
今年度はかなり長い論文を2本公刊した。 1本目の論文では、ゼーモンが著作『ムネーメ』で主張した「記憶の遺伝」を論じた。ゼーモンは、有機体の体細胞(ゾーマ)がある世代に獲得した記憶としての「ムネーメ」が、何らかの形で生殖細胞に伝達され、世代を超えて遺伝される可能性があると主張した。この明らかにラマルク主義の刻印を帯びた主張を真っ向から否定したのが、A.ヴァイスマンである。ヴァイスマンは「自然淘汰の全能」を説く極端なダーウィン主義的立場に立っていた。 2000年代に入り、「エピジェネティクス」のメカニズム解明が進むにつれ、ヴァイスマンが主張するダーウィニズムの「遺伝子中心主義的」なドグマが疑問視されるようになった。「エピジェネティクス」によって、ラマルク主義、つまり「獲得された特性の次世代への遺伝」という考え方が、部分的には正しいとされ始めたのである。「エピジェネティクス」の「先駆者」としてこれまでは、生物学者カンメラーと農学者ルイセンコという2人の理論家だけがクローズアップされてきたが、ゼーモンはこの2人よりも前に、エピジェネティックな「ムネーメの遺伝」を主張していたことを指摘した。 2本目の論文は、「文化的な記憶の遺伝」に関するものである。ゼーモンによれば、「ムネーメ」には文化的なものまで含まれる。まさにゼーモンのこの理論に拠って立つのが、ヴァールブルクの「ムネモシュネ」理論と、ユングの「集合的無意識」である。しかし、「エピジェネティクス」をもってしても、遺伝するのは原則として生理学的な特性のみであって、美学的な記憶や心理的な記憶が遺伝するというのは、「エピステーメ上の比喩の濫用」(S.リーマー)であろう。この論文では、ヴァールブルクとユングがゼーモンをどのように援用しているかを分析し、彼らに通底する「文化的記憶の遺伝」という前提には疑問符を付さざるを得ないことを示した。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
個体発生における「ムネーメ」の問題については、生理学的にも納得できる部分が多いし、記憶の生理学的研究においても概ね正しいとされているが、系統発生におけるそれ、つまり「ムネーメが遺伝する」という主張には、かなりの難点があると思われた。この問題を、理系の専門家(生物学、なかんずく植物学や昆虫学)の見解を参照しながら検討し、新たに「エピジェネティクス」の観点からゼーモンの「ムネーメ理論」を検討しなおすことができたのは、大きな進展であった。 また、「エピジェネティクス」的な次世代への遺伝の問題を、美術や心理といった「文化的記憶の遺伝」領域にまで拡大することができるのかどうかについて、ヴァールブルクやユングを参照項として議論できたことも、「ムネーメ」を文化的・思想的に定位するうえで、たいへん有意義であった。
|
今後の研究の推進方策 |
「ムネーメ」の系統発生的遺伝については、上記のヴァールブルクやユング以外にも援用例があるので、その消息をさらにたどるため、科学研究費の課題検討期間を1年間延長することとした。 具体的には、ルードルフ・シュターナーの「神智学」および「人智学」の世界観における、ゼーモンの「ムネーメ理論」への言及について、調査・検討する予定である。 また個別的な例のみならず、なぜ「記憶が遺伝しているように見えるのか」、なぜ我々は「記憶は遺伝すると考えたがるのか」、という問いに対しても、ありうべき答えを模索したいと考えている。 コロナ禍にあったため、当初計画していた調査研究のためのドイツへの出張がずっと先延ばしになってきた。(1年延期した)最終年度に、残された課題の解決のために、出張を計画することができるかどうか、現段階で検討している。
|
次年度使用額が生じた理由 |
比較的大きな額が期間を1年延長した次年度に生じた理由は、研究当初計画していた海外出張にまだ行くことができないことが主たる理由である。2019年度から世界中に蔓延したコロナ感染症により、移動の自由が奪われたこと、出張先に予定していたドイツでも受け入れ体制に問題が生じたことなどが出張を延期している主な原因であるが、それに加えて2023年度には申請者が予想外の病気に罹患し、入院・手術を受けることとなったため、さらに移動が困難となっていた。 2024年度の使用計画に関しては、申請課題に関してなお残る問題点について、調査・解明するため、ドイツへの出張を組み込みたいと考えている。もっとも体調と相談しながら、無理のない計画を立てることになり、場合によっては出張は断念することになるかもしれない。その際は国内で基金を有効に活用し、もし残額が出れば返却する予定である。
|