研究課題/領域番号 |
20K00608
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研究機関 | 国立研究開発法人水産研究・教育機構 |
研究代表者 |
西村 周浩 国立研究開発法人水産研究・教育機構, 水産大学校, 准教授 (50609807)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | ラテン語 / 印欧祖語 / 時間表現 / 処格 / 派生 / 民間語源 |
研究実績の概要 |
ラテン語は現代ロマンス諸語の直接的な祖先として、また欧米の文化的支柱として膨大な数の語彙を後世に伝えている。その語源研究は200年に及ぶ伝統をもつ印欧語比較言語学によって積み上げられた知見を基に行われ、相当数の語彙に精度の高い語源解釈が提供されてきたが、その一方で十分な説明を得られていない語彙もかなり残されている。こうした未解決語に対する研究は、ラテン語が印欧祖語の段階から経験した言語変化との整合性に終始する傾向が強まっており、時間を要する文献学的考証が十分に行われないことがある。しかし、対象となる語が実際に使用されている文脈やその文化的背景に対する理解があってこそ明確になる事実があり、本研究はデジタル化された文献コーパスを駆使することで、そうした総合的語源解釈を目指している。 2021年度も前年度と同様、新型コロナウィルス感染症の世界的拡大が続き、加えて年度終盤に勃発したウクライナ危機により世界的不透明感はなお続いている。そんな中、2021年度5月に予定されていた国際ラテン語学会が翌年度5月に延期されたが、対面での発表のみという開催形式、および日本と開催地スペインとの距離などを総合的に考慮した結果、発表の取り下げを決めたことで研究計画に少なからぬ変更が生じた。 その一方で、大きく前進させることのできた研究事案もある。ラテン語の「昼」「夜」を意味する形容詞や副詞は形態的に印欧祖語にその多くを負っているが、接尾辞については研究者の間で長年意見が分かれていた。また、「きちんと整った」などの意味をもつ形容詞disertusの語源についても、問題点を残したままの解釈が一定の支持を得るという状況が続いていた。これらの問題について研究を進め、その成果となる論文はいずれもヨーロッパの学術誌に掲載される運びとなった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
「研究実績の概要」の終盤で述べたように、二つのトピックについて研究をほぼ終わらせることができた。一つ目は、ラテン語の「昼」「夜」を意味する形容詞や副詞に関する研究である。印欧祖語にはr所格と呼ばれる格形をもつ名詞が散発的に再建されており、その痕跡はラテン語にも残っているとされる。本研究では音変化や類推作用の相対的年代に関して最適な歴史的シナリオを設定し、問題となっている形容詞の派生にr所格がどのように関わったか分析を行った。一方、「昼」「夜」を意味する副詞の方はsで終わっている。このsの由来については、これまで多くの研究者がそれぞれ見解を述べ、格語尾の名残と見なすなど諸説提唱されてきたが、いずれも問題点を含んでいた。本研究では新たな角度からsの機能を見直し、ほかの語にも散見される接尾辞と同定した。 二つ目は、disertus「きちんと整った」などの意味をもつ形容詞に関する研究である。先行研究においては「結び付ける」を意味する動詞seroとしばしば関連づけられてきたが、これに接頭辞dis-が加えられた形はdisseroのようにsが重子音となり、disertusとは対照的である。このことに着目して、長年顧みられてこなかった別の語源説を足掛かりに、disertus やこれに関連する語彙が文脈の中でどのように使われているかについて検証を進め、より広範囲に及ぶ派生のメカニズムを提案した。以上二つの研究成果はそれぞれオランダとベルギーの学術誌においてもうじき刊行される。 上記2点とは別のトピックにも着手している。一つは、ラテン語の動詞lugeo「(死を)悼む」の語源および形態研究である。もう一つは、ラテン語で「壺」を意味するtestaに関する語源研究で、この語はロマンス諸語で比喩的意味変化を経て「頭」という意味で伝わる重要語彙である。これらに関する分析をさらに進めていく予定である。
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今後の研究の推進方策 |
まず「現在までの進捗状況」の終盤で言及した二つの研究トピックの一つ目、ラテン語の動詞lugeo「(死を)悼む」について説明する。この動詞は20世紀初頭以来、「壊す」を意味する語根から形成されたものと考えられ、「心が壊れる」のような文脈での使用を前提に「(死を)悼む」という意味に至ったとされてきた。しかし、今世紀に入って提案された語源説では、「飲み込む」という意味の動詞語根と結び付けられ、嚥下の反復とむせび泣く様子との間に見られる共通性がその根拠となっている。この仮説は、de Vaan (2008)によるラテン語語源辞典に採用されるなどして支持を得つつある。しかし、泣くという行為は他者の死によってのみ引き起こされるものではなく、意味解釈に飛躍があると言わざるを得ない。本研究では、伝統的な学説に立ち戻り、その場合の意味的変化がどのようなものだったのか、形態的な分析と合わせて、新たな提案を行う予定である。 二つ目のトピックであるラテン語 testa は「壺」などの焼き物を意味する。しかし、その語源については諸説あり、議論は終息していない。terra「大地、土」との関係付けも先行研究においてなされてきたが、音韻・形態的な点で問題を含んでいる。このことを踏まえ、私は今まで注目されることのなかった全く別の語との関係性を指摘するつもりである。このトピックにはtesquum という語義も未だ定まらない語で、大雑把に「荒地」と解釈される語も関わってくる。 上記二つに続く研究トピックについても予備的分析を進めている。穀物の「穂」を表わすagnaや「畝」を意味するlira、そして各々に関係する語彙がその対象である。言語と文化の相互関係性に重点を置きながら研究を進めていく予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
「研究実績の概要」で述べた通り、新型コロナウィルス感染症の拡大やウクライナ情勢の不透明感から、2022年度5月に予定されていた国際ラテン語学会への参加を取りやめた。このため、その出張準備に要することが見込まれた経費が浮く形となった。今後の学会開催の動向を注視していく。
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