口承に基づく歴史研究では、客観性が担保されるかが常に問題となる。1922年の小アジアからの脱出時に、日本船によって救助されたというギリシア系正教徒難民の記憶は、欧米の史料からは実際におこった出来事と判断されるが、日本側の史料の欠如から、歴史的「事実」として完全に実証されたとは言い難い。救助に直接従事した日本人の側の証言があってはじめて、彼らの記憶は、歴史的「事実」と見なすことができるだろう。一方で、この記憶を歴史的事実として語り継いでいる難民の子孫たちにとっての「歴史」のあり方を歴史学のなかでどのように扱うかは課題として残されている。
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