研究課題/領域番号 |
20K00954
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研究機関 | 公益財団法人元興寺文化財研究所 |
研究代表者 |
三宅 徹誠 公益財団法人元興寺文化財研究所, 研究部, 研究員 (80449363)
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研究分担者 |
服部 光真 公益財団法人元興寺文化財研究所, 研究部, 研究員 (00746498)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 寺院史料 / 円成寺 / 忍辱山流 / 聖教 / 版木 |
研究実績の概要 |
聖教、木札、版木などの寺院資料の調査研究から寺院史料全体の構造を明らかにすべく、円成寺所蔵資料の調査に着手した。今年度は、円成寺聖教299 点の調査を実施、資料の撮影、調書の作成(法量計測等)を行った。円成寺は山中に位置するため、湿潤化と乾燥を繰り返し料紙が糊離れを起こしている場合が多く見られた。内容は、忍辱山流聖教、特に事相に関する文献、諸尊法などが中心である。 その中、南都十輪院の僧侶生哲賢尊と順胤によって書写された聖教が見出された。生哲については、寛永20年(1643)書写『地蔵講式』、順胤については、天正18年(1590)書写『愛染王秘伝』、元和2年(1616)書写『降三世護摩供私記』『軍荼利護摩供私記・金剛夜叉護摩供私記』が確認できた。 順胤が元和2年に書写した2点の聖教は、十輪院において五大明王を祀る五壇護摩供が執行された際に書写されたものである。17世紀前半は十輪院が復興していた時期であり、その頃十輪院を運営していた御影供衆が、正御影供に合わせて五壇護摩供という大規模な法要を修していたことがわかり、当時の十輪院における宗教活動の一端が明らかとなった。 円成寺と十輪院の関係は、19世紀に円成寺より十輪院に入寺した快助だけかと推測されていたが、これらの資料によって、快助以外によって円成寺にもたらされた可能性も出てきた。以上の聖教が見出せた点は円成寺史、十輪院史を解明する上で重要であり、今後の検討課題である。これらの聖教の詳細については、服部光真・三宅徹誠「円成寺聖教にみえる十輪院関係資料」として『南都十輪院所蔵文化財総合調査報告書』(公益財団法人元興寺文化財研究所編、2021年3月)に報告した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
新型ウイルス流行によって、調査回数が若干減ったため。それを補うため、円成寺聖教中にみられる十輪院関連資料など重要と思われるものを重点的に調査し、それらについては一定の成果が得られた。
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今後の研究の推進方策 |
聖教3000点弱の悉皆調査を継続して行い、既に紹介されている古文書・南無仏太子像の像内納入文書約70点、版木・巡礼札・祈祷札・棟札約50点、堂内墨書約10件についても可能であれば調査する。 今秋、元興寺法輪館において開催される秋季特別展にて、円成寺と十輪院の関係の重要性が見出せた点などを、関連する円成寺聖教を展示紹介しその成果を公表する。今年度の調査成果については『元興寺文化財研究所研究報告』などにて報告する。
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