研究課題/領域番号 |
20K00969
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研究種目 |
基盤研究(C)
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配分区分 | 基金 |
応募区分 | 一般 |
審査区分 |
小区分03020:日本史関連
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研究機関 | 関西大学 |
研究代表者 |
西本 昌弘 関西大学, 文学部, 教授 (00192691)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 古代難波津 / 渡辺津(天神橋付近)説 / 三津寺町説 / 古地理変遷図 / 難波屯倉 / 難波大郡 / 蝦蟇行宮 / 後期難波宮 |
研究成果の概要 |
古代史学・中世史学・考古学・上代文学・歴史地理学など研究成果を吸収し、総合的な見地から古代・中世の難波および大阪湾岸地域の歴史的様相を再検討した結果、古代難波津は5~6世紀には渡辺津(天神橋付近)に所在していたが、7世紀中葉に三津寺町付近に移動したと結論づけた。これにより、古代難波地域史の軸線が定まったと考える。 また、6世紀に設置された難波屯倉は7世紀中葉に子代離宮に改造されるが、その所在地は上町台地上の高地ではなく、中津川沿岸の低地であったと論じた。上町台地上の高地にあったのは難波大郡であり、その周辺には百済館などの客館も存在したと思われる。さらに、蝦蟇行宮は高津に位置したと推定した。
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自由記述の分野 |
日本古代史
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研究成果の学術的意義や社会的意義 |
学際的な研究成果を総合することによって、難波津の所在地が定まったことにより、古代における難波と大阪湾岸地域の歴史的な変遷過程がより明確に理解できるようになった。5世紀に難波高津宮、7~8世紀に難波宮が造営される背景に、政権の外港であった難波津の移動が影響していることが考えられる。また、難波大郡、難波客館、難波屯倉(子代離宮)などの所在地について通説とは異なる見解を提示できたことは、今後の発掘調査の進展に繋がる可能性がある。古代難波地域は渡辺津(天神橋付近)だけではなく、複数の政治的拠点を有していたことが判明したことで、大阪における新たな文化遺産の発見・創出の動きが強まることが期待される。
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