吉備地方(主として岡山県域)における中世寺社の古文書の収集・読解を進めるとともにそれらをデータ化する作業を進め、寺社の所属する荘園の領域や権力構造などについて考察を行った。(1)荘園と武士団の所在の確定。吉備地方における荘園の分布と、そこを拠点とした武士団の存在について検証を進めた。岡山県内の古文書だけでなく、平安~鎌倉期の古文書を全国的に見渡し、岡山県内の武士団を具体的に特定した。成果の一つは「備前頓宮氏についての基礎的考察」(『吉備地方文化研究』31号、2021年)にまとめている。(2)個別寺院文書の検討と荘園史的事実の確定。備前国牛窓本蓮寺、同西大寺・安養寺、美作国弓削豊楽寺の古文書について検討を行った。特に牛窓本蓮寺については、中世の牛窓保に所属し、同領域における最大規模の寺院であったこと、領家は石清水八幡宮であったこと、荘鎮守は牛窓八幡宮であり、本蓮寺とも関係を有していたこと、本蓮寺は当初、天台浄土教系の寺院(法華堂)であったが、南北朝期における瀬戸内海への日蓮宗の勢力進展により、本能寺などの末寺となったこと、本蓮寺を経済的に支援したのが、船商でもあった石原氏であったこと、その石原氏は瀬戸内海舟運だけでなく、日明貿易や日朝貿易にも関係したこと、さらにその出自は関東の武士層か、または山城国石原荘を拠点とする国人級の領主であった可能性について指摘している。最終年度においては、美作豊楽寺文書を検討し、豊楽寺の所在する弓削荘は、平忠盛および鳥羽上皇の人脈により金剛心院を本家として立券された平家領であったこと、池大納言家を経て久我家に伝領されたこと、鎌倉末期には領家職を伊賀氏が把握したこと、豊楽寺そのものは荘鎮守である志呂神社と並び立つ領家の祈願寺であったこと、戦国期まで近隣の領主層の信仰を集めたことなどを指摘した。
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