研究課題/領域番号 |
20K00988
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研究機関 | 立命館大学 |
研究代表者 |
根津 朝彦 立命館大学, 産業社会学部, 准教授 (70710044)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 小林金三 / 「満洲国」建国大学 / 『北海道新聞』 / 須田禎一 / 東アジア |
研究実績の概要 |
本年度は、1959年に日本ジャーナリスト会議賞を受賞した『北海道新聞』の論説委員室に注目して、分析を進めた。具体的には「小林金三と「満洲国」建国大学―『北海道新聞』論説陣を支えた東アジアの視座」の論文準備と執筆を行った。 講和条約、1960年安保闘争、ベトナム戦争の論説などを通じて異色の論説陣といわれた『北海道新聞』で中心的な役割を担った須田禎一と小林金三に関連する文献と『北海道新聞』社史関連の文献を収集した。特に小林金三の主著『ベトナム日記』(理論社、1965年)、『木鶏の記―ある新聞記者の回想』(北海道新聞社、1990年)、『白塔―満洲国建国大学』(新人物往来社、2002年)、『小ば金―冬青山房雑記』(新人物往来社、2005年)、『論説委員室―60年安保に賭けた日々』(彩流社、2005年)を読み込み、『北海道新聞』の社説(10年史・20年史・30年史・40年史・50年史・60年史・70年史)の内容を精査して、分析を行った。 小林金三は、1960年代のベトナム戦争や日韓基本条約に際しての『北海道新聞』論説陣の中心人物で、後に論説主幹を務めた。『北海道新聞』の論説が、東アジアの視座を色濃く有していたのは、小林金三の戦時中の「満洲国」建国大学の原体験と、そこで築いた他民族学友との人間関係が大きいことを明らかにした。1960年代には日本社会で戦争責任をめぐって被害と加害の重層性の認識が深まるが、ジャーナリズムにおいて『北海道新聞』はその先駆的な役割を担っていたことを位置づけた。 また東アジアの視座に関連して、韓国ジャーナリズム史研究の成果である森類臣『韓国ジャーナリズムと言論民主化運動―『ハンギョレ新聞』をめぐる歴史社会学』(日本経済評論社、2019年)の書評も執筆した(2021年8月掲載予定)。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
小林金三と『北海道新聞』社史、小林金三が学んだ「満洲国」建国大学の文献調査と分析に時間がかかり、研究成果をまとめるのに時間を要した。またコロナ禍で調査に全く行けなかったことが研究上の誤算であり、現地調査を行うことが課題として残った。ただし戦後日本ジャーナリズム史と日本ジャーナリスト会議において『北海道新聞』の果たした個性と役割は大きく、研究の発展性を可視化できたと考える。
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今後の研究の推進方策 |
日本ジャーナリスト会議の実態を明らかにするためにもその前史である1950年代のジャーナリズム史の掘り下げが必要であると考えるようになった。そこで朝鮮戦争下を中心とする日本のレッドパージについての調査を行っていく。そこから戦後日本ジャーナリズムに与えたインパクトと、東アジアの視座の内実を明らかにしていきたい。 またそれとともに小林金三と『北海道新聞』の研究を土台にし、これまで収集してきた須田禎一の文献を読み込み、分析を進めていく。須田自身、日本ジャーナリスト会議との関わりと人的関係性が深く、須田に注目するアプローチが研究を推進していく上で有効である。 レッドパージと須田禎一、『北海道新聞』の視角から、関連文献を収集し、『講座・現代ジャーナリズム』を視野に入れながら日本ジャーナリスト会議の人脈を含めて研究を掘り下げていく。
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次年度使用額が生じた理由 |
コロナ禍により出張調査ができなかったため。使用計画としては今後の研究の推進方策を中心とした文献を購入する。
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