今年度は、論文集『東アジアと朝鮮戦争七〇年』(明石書店)所収の「レッドパージと朝鮮戦争をめぐる報道界・記者研究の断章」(198~265頁)を完成させた。6万2000字超の論文で、従来の先行研究の中で、報道界のレッドパージのジャーナリズム史として最も詳細を極めた研究成果となった。地方紙を含めた広範な社史や、復刻した『新聞協会報』の分析を加味した。朝鮮戦争下の報道界におけるレッドパージは、報道界だけにとどまらず、日本社会の同時代認識に深刻な影響を及ぼしたことを明らかにした。そしてレッドパージで追放された『朝日新聞』の畑中政春や共同通信の本田良介が、1955年に創立した日本ジャーナリスト会議(JCJ)に合流していく。つまり報道界のレッドパージと、日本ジャーナリスト会議に関わる人脈の形成過程は結びついていたのである。 JCJは、初代議長を務めた『世界』編集長の吉野源三郎をはじめ、新聞・通信社・放送局だけでなく出版社の存在感も大きかった。吉野は民主的な運営を粘り強く心がけたが、1960年代以降、日本共産党の影響が強くなり、吉野は退会をすることになる。研究期間全体を通じて、第2回JCJ賞を受賞した北海道新聞委員論説室を含めて、戦後に活躍する多くのジャーナリストが関わるJCJの影響力と人脈、その歴史を明らかにすることができた。 その他、本年度は、日本メディア学会ジャーナリズム研究・教育部会の研究会では「報道職への進路支援とジャーナリズム文化」を報告した。またケニアのナイロビでは共同通信のナイロビ支局長にインタビューを行い、ジェトロ・ナイロビ事務所では「日本でのジャーナリズム教育と報道事情」(ジュアナ会と日本学術振興会ナイロビ研究連絡センターの共催)を報告した。
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