戦前の帝国議会ではじめて南洋漁業が取り上げられたのは、1928年の第56回衆議院本会議での鹿児島選出の原耕の演説であった。これ以降、農林省および拓務省が中心となり「漁業分野における南進論」とでも呼ぶべき動きが活発化し、日本の政官財の目が南洋漁業に向けられることになった。 外南洋に進出した日本人漁業者は、現地政府と様々な問題を引き起こした。その中でも、日本人漁業者にはじめて死傷者がでた、1937年の蘭印における2件の邦船銃撃事件と、1936年にドボでおきた多数の真珠貝採取業者の拿捕事件について取り上げた。日本人漁業者の活動が、当時の国際関係にどのような影響を与えたのかに焦点をあてた。
|