本研究の成果は研究開始当初の計画を変更し、19世紀ジャワ島を中心とする強制栽培制度の新しい側面に光を当てた先行研究・公刊史料の長大な整理となった。 以下の新論点は、先行研究と公刊史料を使用してジャワ島全体を俯瞰する、いわば外堀を埋める方法で発見された。今後一次史料による実証が必要であり、また強調点の違いによって表現は変化すると思われるが、大枠の構造として大きく覆ることはないと考える。 第一に、従来等閑視されて来た強制栽培制度と商業・貿易動向の関連について、ジャワ島内部およびジャワ島と外島(ジャワ島以外の現インドネシア海域)の関係が緊密化したことを示した。すなわち1)砂糖、コーヒーなどの輸出用一次産品を生産地から港へ輸送する物流・商業が、米穀を含めた一次産品を生産するジャワ島内の州同士を接続し、さらにこのジャワ島内の構造が、オランダ政庁による独占的な政庁勘定貿易と自由主義的貿易、およびジャワ島と外島を接続していた。2)ジャワ島内の生産地と港までの商業を独占していたのは政庁と結託したジャワ島北海岸を拠点とする華人であり、外島との接続にも重要な役割を果たしていた。3)このような輸送・商業の構造が強制栽培制度の成立と政庁がこの制度から利益を得ることを可能としたが、グローバルな貿易動向の影響を受けて構造は1850年頃から変質していった。 第二に、ジャワ島住民の生存戦略という観点から次の点を論じた。4)農家世帯の女性が、自給農業をはじめとする世帯の食糧獲得の主な担い手として位置づけられたこと、世帯を超えた親族の女性同士の協力が存在したとの仮説を立てた。これに加えて科研課題番号19H00543によって、強制栽培制度下のコンスタントな人口増加は、島内の商業・輸送網の安定と政庁の銅貨支払いによって住民の食糧獲得の選択肢が増加し、下層世帯の生活が安定したために起きたことが議論できた。
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