清朝崩壊後、中華人民共和国に編入されるまでのチベットは、国家の地位に関して法的(de jure)な承認を欠きつつつも、ダライ・ラマ政権が内政と外交の実質的な権限を掌握した「事実上(de facto)の独立」状態にあったと言われている。本研究は、このいわゆる「事実上の独立」状態の出発点となった第一次世界大戦前後における、ダライ・ラマ政権のイギリス・中国との関係に注目し、特にダライ・ラマ政権による領域確定のプロセスを国際的要因とチベット側に内在する論理の両面から明らかにした。チベットに関する本研究成果は、「帝国」の狭間で国家形成を目指した同時期のアジア諸地域の動向と比較可能な事例となるであろう。
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