研究課題/領域番号 |
20K01012
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研究機関 | 長野工業高等専門学校 |
研究代表者 |
久保田 和男 長野工業高等専門学校, 一般科, 教授 (60311023)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | 開封 / 長安 / 金陵 / 江寧府 / 大都 / 南唐 / 五代十国 / 洛陽 |
研究実績の概要 |
前半は「宋都開封からの潮流」と題し、研究発表を実施した。この研究では、本研究課題の中間成果という意味合いが濃厚である。研究内容を以下に示す。 ・郊祀は儒教の王権儀礼である。特に都城の南郊(円丘)で自ら天(昊天上帝)を祀ることは天子の証明なのである。儒教国家となった後漢以降の都城は、宮殿から郊祀を行うための南に向かう中軸線街路や郊壇を基準にして設計されるようになる。そして「古代都城」の完成形として「北闕型」の隋唐長安城が造営されたのである。 それに対し、宋都には、「古代都城」に新しい空間構造の要素が付加される。宋の為政者たちは自分たちの時代を、都城繁華」などの面で漢唐を超えた時代であると認識していた。その意識は都城開封の空間変容に対応したものだった。この論文ではまずその変化を紹介し、宋都の空間構造が、後続する王朝の都城にどのように継承されたのかを概観する。 遼・金・元朝は、「征服王朝」と呼ばれる。宋朝300年間に興起し、皇帝を名乗り都城を建設して宋朝に対抗した。遼金元はそれぞれ開封を攻略している。そのたびに開封から北方に人的そして物的資源や諸資料が運び去られた。したがって、開封は征服王朝の都城に深い影響を与えた。ただし、遊牧王朝には遊牧王朝の王権論が存在する。儒教の王権儀礼である郊祀を素直に受け入れることはしていない。都市計画などの外見を中心とする継承にとどまったものもある。このようなバリエーションを背景とともにさぐることで、新たな都城史をくみ上げた。 後半は、「南唐の都城江寧府」についての検討を行った。これまで、都城史の主流は華北の都城であり、長安から開封への潮流のみが考えられてきた。五代十国の時代観も五代を正統とする歐陽脩以来の史観なのである。それに対して、呉から南唐の都城史を考えることで、従来の都城史とは異なった五代史が描けると考えた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
研究計画では、外国への調査旅行が組まれていたが、コロナ感染予防対策で、外国への調査旅行ができなくなっている。特に2021年度になって研究計画の視野に入れることになった南京については、現地調査をこれまでもしていないので、是非必要である。
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今後の研究の推進方策 |
コロナ感染予防対策で、出張による現地調査や文献調査、学会出席などができない状況ではあるが、幸いなことにオンライン学会が各地で開かれることで、かえって学会出席の回数は従来にないような度数になっている。おそらく2022年度も、現地調査は不可能であるので、オンラインでの調査や学会出席にシフトした研究計画にしてゆくことになろう。なお、研究計画書では、検討する対象としていなかった、南唐の江寧府の近世都城史における重要性が高まってきた。研究計画のもうひとつの微調整のはいるポイントであり、本研究課題の充実につながるポイントである。
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次年度使用額が生じた理由 |
コロナ感染予防対策で、予定されていた海外への出張による現地調査ができない状況である。そのため2022年度使用額が生じている。2022年度も状況は変わらないと考えられるため、研究計画をネット上でできることなどに切り替えるなどの工夫を考えたい。
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