本研究課題は、マンチュリア南部の盛京社会の人々が清代後期に試みた科挙受験と婚姻のありように注目し、そこにみられる人々の動機や選択・戦略を明らかにすることを通じて、この地域の歴史的変動の特徴の一端を解明することを試みるものである。具体的には、清代後期の盛京社会を構成する人々・家族の歴史を記す記事を諸史料から抽出し、特に科挙受験と婚姻の事例に現れる各家族集団の戦略・動機やその特徴などを指摘することを目的としてきた。 本研究課題の最終年度にあたる今年度は、国外の諸機関に所蔵されている史料に基づき、本研究課題のまとめも兼ね、「陳玉章と清代後期の瀋陽陳氏――清代19世紀盛京の文人家族――」と題した論考を発表し、瀋陽陳氏の持つ文人家族としてのネットワークのありかた・特徴・地域的拡がりやその婚姻における選択の一齣を示した。 そこでは、(1)清代後期の瀋陽陳氏の婚姻には,盛京の域外にある山東省への婚姻関係の拡大方向と、盛京の域内における文人家族・科挙官僚家族との婚姻関係の形成という方向が併存していたこと、(2)この瀋陽陳氏の姻族はいずれも、瀋陽陳氏と同じく、この清代後期になって始めて科挙合格者を輩出した新興科挙官僚家族であり、かつ、どの家族も自身の文化的伝統として、その構成員が文章の才能を備え、詩を嗜んでいた文人家族であったこと、を明らかにした。 この瀋陽陳氏の事例のように、清代後期の盛京社会では、清初に盛京に移住し、この時期になって始めて科挙合格者を輩出したという変化を経験した家族集団が増加したが、彼らはその変化を基礎に地域社会における自集団の地位の安定と域外への婚姻圏の拡大とをさらに求めていったこと、この清代後期という時期は、旗人・漢人を問わず、そうした新興科挙官僚家族集団の抱いた戦略が盛京社会に広く行き渡りつつあった時期であったこと、などの見通しを示すことができた。
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