研究実績の概要 |
当該年度は、前年度に引き続き、「民主政の技法」(Ars Democratica)と呼ぶべき歴史的事象の諸相を、古典史料・碑文史料および考古学的史料をもとに明らかにすることに努めた。アテナイ民主政において、投票方式や大人数の組織形態などの実務面において考え出されたさまざまなツールのうち、前年度は民衆裁判所で用いたれたものに焦点をあてたが、本年度は文書による記録とその保管に注目し、書記技術(literacy)が民主政においてどのような役割を果たしたのかを中心に検討した。このテーマについては、すでにR. Thomas, Oral Tradition and Written Record in Classical Athens, Cambridge, Cambridge UP 1989; idem, Literacy and Orality in Ancient Greece, Cambridge, Cambridge UP 1992.以来、欧米でも幅広い研究の蓄積がある。古代のアテナイは基本的には口頭伝達が主たる情報伝達手段であったが、2550平方キロメートルの領土に成年男子市民だけで最盛期に5万から6万人を数えたアテナイは、例外的な大国であり、その領土の隅々に国家の決定など政治参加に必要な情報を素早く行き渡らせるためには、文字による情報伝達が不可欠であり、それゆえ前5世紀初頭からアテナイではさまざまな手段で文字媒体を活用し、民主政の運営に役立てた。さらに伝達のみならず、記録と保管という機能においては、改変を受けやすい個人の記憶能力よりも、文字の方が格段に優れていた。アテナイ民主政が公的な記録をどのように保管したかを、伝アリストテレス『アテナイ人の国制』などを手がかりに明らかにした。
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