研究実績の概要 |
最終年度においては、「民主政の技法」が古典期のアテナイのみならず、とくに前4世紀前半のギリシア世界に拡散していった経緯を、いくつかの事例研究を通して明らかにしてゆくことに努めた。まず小アジアにあっては、イアソスにおいてアテナイ型の民主政が成立し、そこでは民会を招集する際に水時計・市民の名札(ペッソス)・名札を入れる小箱が用意され、それらは民会手当の分配手続きと連動していることがとくに注目される(Rhodes, P.J.& R.Osborne (eds.), Greek Historical Inscriptions 404-323 BC, Oxford, Oxford UP 2003, No.99)。イアソスはアテナイに比べれば小都市であるが、にもかかわらず大人口を抱えるアテナイで発達した効率の良い群衆整理や民会手当分配の方法が採用されていることが明らかとなった。 ペロポネソスのアルゴリス半島を領有したアルゴスでは、アテナイに次いで古くから民主政が採用されたが、ここでも近年発見された青銅版に刻まれた公文書から、公金の管理と役人の責任追及に公文書が活用されていることが注目される。これもアテナイと類似の制度であり、アテナイ由来のものである可能性がある。ある時期までは貴族政であったが、前4世紀にはいってからスパルタの強権支配を受け、それへの反発から民主政に移行したテバイでも、ボイオティア連邦という特異な枠組み内ではあったが、公職者の責任追及制度が発達したことがうかがえる。テバイ近郊のオンケストスから、アテナイで使われていたのと酷似する投票具が発見されたのも重要である。 このように前4世紀の第2四半期から本格化するギリシア各地での民主政の拡散においては、アテナイ由来と考えられるさまざまな民主政の技法が採用されていたことが明らかとなった。
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