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2020 年度 実施状況報告書

鎖国形成期から近代初期開国期にいたるキリシタン墓碑の考古学的研究

研究課題

研究課題/領域番号 20K01082
研究機関別府大学

研究代表者

田中 裕介  別府大学, 文学部, 教授 (30633987)

研究期間 (年度) 2020-04-01 – 2024-03-31
キーワードキリシタン墓碑 / 江戸時代禁教期 / 粗製伏碑 / 斗舛墓
研究実績の概要

本年度は開始当初に、コロナウィルス予防のために学生を伴っての野外調査がおこなえなくなった。当初初年度に予定していた熊本県天菊池菊池上木場墓地の調査は、先送りをよぎなくされた。そのため当初の計画を練り直し、大分県内のキリスト教が禁じられていた時代の墓地の調査をおこなうことにして、まず遺跡のリストアップし、その中から豊後大野市栗ヶ畑亀甲墓地とおなじく豊後大野市下赤嶺「キリシタン」墓地の墓碑調査をおこなうことにした。
コロナ対策を徹底するため学生は5人を限度とし、8月から3月まで断続的に日帰りの調査を繰り返した。切支丹類族の墓地である可能性の高い栗ヶ畑亀甲墓地では、まず各家の墓地毎に墓碑の配置と墓地の形成過程を把握するために墓碑と地形の平板測量をおこない、さらに各墓碑の実測と拓本、碑文解読と記録作成をおこなった。その結果江戸初期の禁教以前のキリシタン墓碑から、禁教期には無銘の粗製伏碑に移行し、元禄期にはその上の戒名と紀年を刻んだ近世墓石がたてられ、享保期を過ぎるとそれが普通になっていく過程が明らかになった。また17世紀のキリシタン墓地的配置から18世紀になった夫婦単位の墓地に変化していくことも明らかになった。
下赤嶺墓地は、いわゆる斗舛墓とよばれる方形低平な伏碑の約80基からなる墓碑群で十字形の刻みを持つため長くこの墓碑はキリシタン墓碑ではないかと言われてきた。銘文のある一基は元禄期のもので、真宗門徒の墓地であることが明らかになり、近接する石塔群は17世紀初頭の宝篋印塔まで存在し、戦国期にキリシタン墓地としてはじまったものではない可能性が高くなった。斗舛墓のほとんどが禁教期まで下るもので、十字形を除けば、キリシタン墓碑とする根拠は極めて乏しいことが判明した。
いずれもキリシタン墓碑の変容過程の一端を考古学的に記録することができた。

現在までの達成度 (区分)
現在までの達成度 (区分)

3: やや遅れている

理由

コロナウィルス感染症対策のため、大分県外の対象墓地の調査が行えないことが、最も大きな理由、また県内の調査であったも短期集中の合宿形式の調査ができなかったため、どうしても調査の長期化がさけられず、進捗がやや遅れている。

今後の研究の推進方策

コロナが収まり県外調査ができるようになるまでは、県内のキリシタン墓地からはじまって近世まで続く墓地の調査をおこなう。昨年度リストアップした中で取りかかりが容易な、掻懐キリシタン墓地周辺の墓碑群と、科研費とは別のマレガプロジェクトの中で、かつてマリオ・マレガ師が踏査してキリシタン子孫の墓碑と考えた墓地の現地踏査を行うとともに、昨年度調査した二つの墓地資料の整理を行い、コロナ後の県外調査の準備作業をおこなう。

次年度使用額が生じた理由

コロナ対策のために予定していた県外調査ができなかったため、旅費の執行が少額になったことが次年度使用額が生じた最大の理由である。
2021年度中に学生を雇用しての県外調査が可能となれば、長崎県浦上、熊本県上木場、鹿児島県福昌寺墓地の調査を長期休みを利用しておこないたい。コロナの状況から治まらない場合には、県内の対象墓地の調査と、調査資料のせいりおよび、県外でも単独調査可能な墓碑調査(長崎史浦上)をおこなって遅れを取り戻したい。

  • 研究成果

    (1件)

すべて 2020

すべて 雑誌論文 (1件)

  • [雑誌論文] キリシタン石造十字架碑の研究2020

    • 著者名/発表者名
      田中裕介
    • 雑誌名

      石造文化研究

      巻: 35 ページ: 1-20

URL: 

公開日: 2021-12-27  

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