中央アナトリア地域は、新石器時代~鉄器時代にかけて西アジア史の理解に多大な後見を果たした遺跡が少なくない。しかしながら、銅石器~前期青銅器時代にかけての考古学的な資料が明らかでなかった。つまりは物質文化の編年や並行関係が不明瞭であるがゆえに、この時期に起こる都市形成という歴史事象の検討も詳細に行うことができなかった。後期銅石器~前期青銅器時代の資料を得ることができたという本研究の成果は、本地域における新たな基準資料を提示することとなり、メソポタミアや南東ヨーロッパまでを視野に入れた詳細な文化動態と都市形成の議論を可能にする点に大きな意義をもつ。
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