研究課題/領域番号 |
20K01181
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研究機関 | 立命館大学 |
研究代表者 |
河原 典史 立命館大学, 文学部, 教授 (60278489)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | カナダ / ガーディナー / 山本宣治 / 角佐六 / カナダセンサス / グランドフォークス |
研究実績の概要 |
生物学者であり、後に政界へ転進した山本宣治(1889~1929) は、青年期のカナダ滞在時に日記を書き綴っている。1907(明治40)年に園芸研究のためカナダへ渡った彼の日記からは、当時のバンクーバーにおける園芸の様子がかいまみられる。例えば、富豪のアーネスト・E・エヴァンス(Ernest Edward Evans)邸の花園の園丁長(ガーディナー責任者)を勤める広島県安佐郡三川村古市(現在の広島市安佐南区)出身の角佐六のヘルパーになった山本は、2人以外のガーディナーは全員白人であったほか、ガラス温室ではバラやゼラニウムなどが栽培されていたことなどを記している。 1931年、“Census of Canada(1931)”にはBC州における出身国別の庭園業、花卉農業と養樹産業の数が報告されている。それをみると、当時およそ2,000人が庭園関係業に就業しており、その半数は中国人であった。それに続くブリティッシュ系では、他の民族(出身国)のほとんどが男性にあるにもかかわらず、約30%の女性就業者がみられる。そして、男性235人・女性3人の日本が続く。つまり、当時の庭園関係業の1割強が日本人によって占められていた。第4位はドイツ・オーストリア人となり、その占有率は4%以下となり、その他の民族(出身者)はさらに少ない。 ただし、1920年代に厳しくなる排斥運動のため、日本人の農地取得は困難であった。したがって中国人と同様、彼らは花卉栽培や養樹業ではなく、邸宅の芝刈や落葉拾いを中心とする庭園業に従事していたと考えられる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
2020年度に引き続き、2021年度もコロナ禍のためにカナダでの調査が不可能であった。第二次世界大戦後におけるガーディナーの活動に関わる新しい資料の発見・収集や、日本人ガーディナーへの聞き取り調査ができなかった。そのため、前年度に引き続いて戦前の史資料の再検討を行なった。
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今後の研究の推進方策 |
2022年度もカナダ調査が困難であると予想される。そのため、すでに収集済みである戦前の史資料の再検討を継続する。その際、日本人ガーディナーだけでなく、イングランド・オランダ人を中心とする白人、そして中国人などの他民族との比較考察を行なう。カナダ調査が可能になった場合、バンクーバー日系ガーディナーズ協会の会員、とくにシニア層からのインタビュー調査を実施する。そのとき、彼らが所有している顧客名簿や作業日誌などの縦覧を行なう。
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次年度使用額が生じた理由 |
コロナ禍による国内外の調査が困難であったため、旅費の執行ができなかった。そのため残額が生じ、次年度への繰越金が発生した。引き続き、カナダへの調査は困難と予想されるが、国内調査を計画的に進めたい。
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