自らが研究成果の学術的意義や社会的意義を述べることは信憑性に疑義を生じさせ得るとも思う。研究者の主観としては、もともとは政治にどの程度、裁判所が抵抗して法的論理を一貫させた活動ができるか、ということを問おうとした。しかし実際にはむしろ、そもそも裁判所の活動がどの程度社会によって支えられているかが問題だとわかった。ヨーロッパにおいて当事者が、法の定める裁判官に裁判をさせる権利を持つ、と考えるのに対し、日本では、「裁判を受ける権利」という受動的でお上依存的な表現が流布しているのは、深刻な問題を提起している。社会による裏打ちある裁判所でなければ、政治が依拠する多数決の原理に対抗し得ないからである。
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