研究課題/領域番号 |
20K01527
|
研究機関 | 亜細亜大学 |
研究代表者 |
大原 俊一郎 亜細亜大学, 法学部, 准教授 (00755861)
|
研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
|
キーワード | 集団安全保障 / 国際協調 / 勢力均衡 / 諸国家体系の成熟 / 平和秩序の構築 |
研究実績の概要 |
本課題は、18世紀から19世紀にかけての「諸国家体系の成熟」とその具体的成果としての「ヨーロッパ協調」の観点から戦間期を再検討し、とりわけ戦間前期における国際システムの成熟(=世界協調)に真に寄与するはずであった構想や試み、そしてそれを阻害した諸要因を総合的に検討する。本年度は、ウィーン体制期研究により国際政治史の基礎構造を解明し、それとの比較の中で戦間期国際秩序の構造的前提を明らかにすることであり、事件史解明に比重を置いた当初計画よりも構造史解明に比重を置いた研究活動となった。具体的には、次のような成果を挙げることができる。 ①17世紀・18世紀から19世紀初頭にかけて約200年間をかけて行われた「諸国家体系の成熟」によって、国際秩序は第5層―国際紛争(戦争状態)、第4層―二極均衡、第3層―多極均衡、第2層―国際協調(大国間協調)、第1層―集団安全保障、という重層的・ヒエラルキー的構造によって成り立っていると分析することができる。 ②ウィーン体制期(特に1815-22年)に成立した集団安全保障は、それ以前に積み重ねられた重層性の上に成立したものと分析することができる。 ③19世紀の国際政治史は、1822年に第2層、19世紀中盤に第3層、19世紀後半には第3層から第4層へと劣化し、20世紀前半にかけて第5層にまで劣化したものとみることができる。 ④20世紀におけるウィルソン流の集団安全保障概念は、19世紀後半に出現した第4層(二極均衡)をヨーロッパ外交の本質として捉え、第3層、第2層の成熟の成果や成熟への取り組みを否定するような平板な勢力均衡批判を背景とするものであり、そのことによって20世紀以降の国際秩序がつねに成熟を妨げられ、戦間期においても、国際連盟という第2層のアリーナを築くことには成功したものの、第3層の再強化に失敗し、秩序崩壊を招く結果になったのではないかと判断される。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
研究自体は大きく展開し、きわめて発展的な様相を呈しているものの、当初予定していた東アジアにおける大国政治の帰結に関する解明作業は遅れており、研究の発展と当初予定との乖離が生じている。ただし、国際政治史の大構造の解明や、約400年に及ぶ国際政治史における戦間期国際秩序の位置づけなど、従来の研究にはなかった観点からの検証作業は着実に進んでいる。
|
今後の研究の推進方策 |
2022年11月に日本EU学会において公開した内容を大幅に加筆修正し、2023年半ばには論文として公開する予定である。また、国際政治史の大構造の解明というスケールの大きな検証作業を進める一方、その中で戦間期の個別の事件史を位置づける作業を進めていく必要があり、まさしくその点にこそ他の研究にはない本研究のオリジナリティが生まれつつある。とりわけ、ワシントン体制・国際連盟・ヴェルサイユ体制の位置づけという、大きく分けて三つの大論点があるが、①暫定的にワシントン体制のみに絞り込む、②事件史の実証よりも大きな構造史の中で事件史を位置づける作業にさらに比重を置いた研究方法の採用、③課題期間の延長、などの方法を検討する必要があると思われる。というのも、ドイツ在外研究でエッカルト・コンツェ教授の指導を経た結果、解明作業の方法論として、事件史による解明作業よりも構造史による解明作業を中心に据えたほうが、より説得的・効果的に戦間期国際秩序の本質的解明に迫ることができることを理解したため、この点を織り込んだ研究計画の変更をより大胆に実施していく必要があると思われる。
|
次年度使用額が生じた理由 |
本年度は国際政治史の構造解明作業という、超長期にわたる検討の上に戦間期を位置づける作業を優先させたため、個別の位置づけ作業は次年度以降に繰り越されることとなった。 今後の使用計画としては、ドイツ在外研究の結果、現在、校務負担の大きな役職に就いており、そうした校務負担状況やコロナ禍による研究計画の変更とそれによって生じた当初計画との乖離などを埋め合わせるため、最終年度を一年延長することを含めて検討中である。いずれにせよ、構造史の解明作業が主体となっているため、事件史の検討は従来の研究で援用できる部分が多く、事件史の解明作業の比重は当初計画よりもかなり縮小されている。こうした研究方法は、構造史なきまま公文書館史料に大きく依拠し、事件史に集中するわが国の研究の傾向とは異なる研究の進め方となっており、構造史を中心とした研究方法に対する理解を広げていく必要がある。
|