本年度は、主としてこれまでの研究成果の発表のための論文等の執筆および修正を行った。このうち、太平洋炭鉱の技術的展開を労働安全衛生を踏まえながら考察した共著論文は、査読を経てオープンアクセスの英文書籍の1章として刊行され、日本の石炭産業における安全衛生の歴史について、広く国際発信を行うことができた。 本研究の成果は、以下の4点に要約される。第1に、日本の石炭生産技術は必ずしも安全を軽視していたわけではなく、技術革新は基本的に保安の確保が考慮されていた。ときには、大学院卒の上級技術者が自ら現場試験を行い、技術や機械の改善に取り組んでいた。 第2に、技術面で保安が確保されていたとしても、実際の作業現場では労働者、現場係員(現場監督者)による作業環境の乱れの放置や保安を軽視した作業が常態化していた。その背景には、先行研究が指摘する生産重視の労働強化もあったが、保安基準を順守しなくても災害が発生しないだろうという安心感、換言すれば慢心の存在を指摘できる。 第3に、こうした状況が発生しないためには現場管理者や労働組合による作業管理が不可欠であるが、作業現場が地下にあり、かつ広範囲に分散している炭鉱の坑内では、少数の管理者による管理は限界があった。また、炭鉱では職位の序列と熟練の序列が必ずしも対応していなかったため、現場管理者が熟練労働者を指揮命令することは容易ではなく、事例研究によれば保安管理を熟練労働者に依存する形で解決がはかられた。 第4に、こうした歴史的事実を踏まえると、人事労務管理制度の整備が、職場における労働者の安全・健康の確保において重要な役割を果たしていたことが分かる。労働者の安全・健康を分析する際には、技術面や経営面とともに、人事労務管理面の検討が重要だと言える。
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