研究課題/領域番号 |
20K01807
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研究機関 | 和歌山大学 |
研究代表者 |
今田 秀作 和歌山大学, 学内共同利用施設等, 名誉教授 (60201943)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | インド / 植民地 / 貨幣需給 / 金融政策 / 信用貨幣 / 地金 / banking habit / 公債政策 |
研究実績の概要 |
本年度は1920年代を中心として、植民地期インド国内の貨幣循環構造とそれを前提とした植民地政府の貨幣政策について検討し、以下の点を解明した。インド国内の貨幣循環構造は、インドが圧倒的に農業社会であったことに規定される貨幣需給の季節的変動に強く影響された。貨幣需要は秋~冬の繁忙期に増加し、春~夏の閑散期には減少した。秋冬には貨幣不足が、春夏には貨幣過剰が顕著であり、両期間の利子率較差が示すように、政庁による貨幣供給の調整は決してスムースではなかった。本研究では、貨幣政策に困難を与えた諸要因を考察したが、まず一般的には銀行システム及びそれに基づいた信用貨幣の普及の未熟さがあげられる。インドでは個人が所有する鋳貨・紙幣という現金形態での決済が主体であり、銀行が社会的遊休資金の全体的管理者として機能していなかった。また中央銀行制度が不在であったので、当局は中央銀行の金融政策を通じた市中銀行の貸出行動への影響によって信用貨幣量を統御することができなった。準中央銀行ともいえる帝国銀行は都市部の銀行・商人への融資を通じて、奥地から海港地への農産物輸送に資金を提供するようになったが、農業生産部面とは無縁であり、その銀行利率(バンク・レート)の影響力は限られていた。インドの金融構造は土着金融機関が支配する農民金融との間で二重化され、両者の関連は希薄であった。次に農民が貯蓄手段として金銀を好んで保有することが貨幣循環に影響を与えた。農民は好況で所得が増えた時、また金銀価格が低い時には金銀を盛んに購入し、それによって保有現金が流通に戻ったが、逆に不況期や金銀価格が高い時には金銀を売却したので貨幣需要が増大した。金銀価格は貿易収支に連動するルピーの為替相場にも規定された。本年度の研究を通じて、金銀嗜好を含めたインド農民の伝統的な貨幣利用慣習が貨幣需給構造に多大な影響を与えたことが分かった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
従来軽視されてきたインド植民地幣制における金の役割に止目するという本研究の立論に関わって、私はすでにインド外国貿易における金決済のメカニズムと金流入の実態、および輸入された金の国内配分の入り口であったボンベイ地金市場の実態を解明し、かつインド幣制が一義的に金為替本位制と理解されるべきではなく、それは古典的金本位制(金貨本位制)の要素を多分に含んだ、両者の独自な複合形態であることを論証してきた。こうした論証を踏まえて、私は前年度以来当該期インド国内における貨幣の需給・流通構造を分析し、まず輸入されたソブリン金貨が当局によって大量に公衆に供与され、貨幣供給の最大の源泉の一つとなったこと、また経済先進地域ほど金貨の取引通貨としての利用が進んでいたことを論証した。本年度私は、インドが農業社会であったことを反映する国内貨幣循環の季節的変動を分析したが、この特質が当局に要求する貨幣需給調整は、本国への順調な送金の達成という植民地支配全体の主要目的を左右する意義を担った。当局による需給調整は決してスムースなものではなく、その困難性の分析は当該期インド在来貨幣構造の重要な特質を明らかにした。困難性の要因は、一般的に、銀行システムや信用貨幣制度の未熟さにあったが、それらと表裏の関係にある特質、すなわち農民の貯蓄手段としての金銀嗜好や近代的金融組織と土着金融機関の乖離という金融構造の二重性も指摘することができる。また通貨収縮を要求する為替安定化政策と、潤沢な貨幣供給を求める当局の借入需要(公債政策)とが矛盾することもあり、さらに各農産物の年々における収穫時期の相違という、農業生産に特有の不確実性も、貨幣需給の変動をもたらした。こうして本年度の研究により、インド在来貨幣構造とそこにおける金保有の影響が一層明らかになり、また貨幣構造を取り巻くさらに広範な事情をも視野に入れることができた。
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今後の研究の推進方策 |
イギリス当局は、1925年に新たな政府委員会(ヒルトン-ヤング委員会)を設置し、従来以上に抜本的なインド幣制改革に取り組んだが、本研究では今後、委員会提案に込められた政策意図とその背景、及び異論を含んで展開された政策形成過程を検討したい。委員会の政策提案は、(a)金為替本位制に代わる金地金本位制の導入、(b)ルピー銀貨の法貨規定の廃止、(c)比較的高いレートでのルピー為替平価の再設定、(d)インドにおける中央銀行(インド準備銀行)の創設を含んでいた。従来の研究では、ナショナリスト歴史家によって(c)に、また一般に(d)に関心が集中されてきたが、それまでの「金為替本位制-銀貨兌換制」という 組み合わせを、「金地金本位制-銀貨流通縮小」というそれへ転換しようとした企図も、重大な制度変更を意味する。本研究では、当局が、金属貨幣流通の縮小と為替安定を可能にする金地金本位制を提案し、信用貨幣を創出・管理する中央銀行の設立提案と相まって、管理通貨制的要素の拡大を志向したことを論証した い。全体として、本研究は、今後以下の諸点を実証することを目的とする。(1)銀貨流通に依拠した戦前型金為替本位制からの脱却が緩やかに進み、インド幣制に管理通貨制度的要素の発展が見られること。(2)しかしこの過程は、自身の金保有拡大の必要性に迫られ、また統治の安定を優先するイギリス側の姿勢と、金貨本位制導入を反英闘争の政治的シンボルとするナショナリストの態度によって、順調な展開を阻害されたこと。(3)当該期のインド幣制は、インド在来の特質に加えて、金がなお主要な国際決済手段となるという、イギリスをも拘束した当時の世界的な貨幣利用状況にも規定され、金属貨幣からの脱却において信用制度発達史上の制約を負っていたこと。この点に金の廃貨にもとづく現在のドル体制との相違がある。
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次年度使用額が生じた理由 |
次年度使用額が生じた主な理由は、私の一時的な体調不良とコロナ禍への懸念のために、海外渡航を含めた移動が制約され、また内外の大学図書館や文書館の利用も差し控えることが多かったため、予定していたイギリス及びインドでの文献史料蒐集や国内での移動による学会参加ができず、旅費の利用が進まなかったことにある。今年度体調が回復しつつあり、またコロナ禍への懸念が薄らいでいるので、直ちに内外での文献資料収集を進め、そのために助成金を使用したい。
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