研究課題/領域番号 |
20K01813
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研究機関 | 専修大学 |
研究代表者 |
小西 恵美 専修大学, 経済学部, 教授 (90338583)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | 19世紀半ば / ハイ・ストリート / 買い物通り / ベリ・セント・エドマンズ / キングス・リン / ノッティンガム / イプスウィッチ / 新聞広告分析 |
研究実績の概要 |
昨年までに作成した、新聞広告やセンサス、人名録から収集した、買い物通りの店舗に関するデータベースの分析を行っ た。1840年代から50年代のベリ・セント・エドマンズとノッティンガムの買い物通りの分析が主である。ベリはサフォークの社会的中心地であり、ベリだけでなく、その周辺地域からも集客していた。社交都市としての機能を反映させた店舗が早い段階から発展しており、1850年代までには流行をリードする店舗が、ハイ・ストリートにとどまらず、広がっていた。 一方、ノッティンガムは、ベリよりも都市としての規模は大きいが、社会的中心地というよりは、工業を主とした新興の経済的中心地である。店舗数は多いものの、店舗の種類はベリとは異なる。店舗の新聞広告はベリよりも少なく、その中には流行品の宣伝をするものも含まれるが、それよりも目を引くのは1850年代におけるノッティンガムの製造業の発展が背景に、製造業者向けと思われる新しい工業機械を詳細に説明するものである。もちろんそのような店舗はハイ・ストリートに立地するものではなく、新聞広告からハイ・ストリートや買い物通りの様子を構築するのは難しい。 イプスウィッチは、サフォークの中では最も工業化が進んでいる都市であるが、ノッティンガムほど近代的な工業都市にはなっておらず、新しい機械の広告は見られない。広告は奢侈品やファッションが多いが、ハイ・ストリートに集中しているというわけでもない。 新聞広告の分析が進むにつれ、買い物通りの分析ができるだけの情報を集められる都市とそうでない都市の差があることが明らかになってきた。人名録やセンサスと異なり、新聞広告から得られる情報は都市の性格に左右されるため、新聞広告の分析が適している都市とそうでない都市の差が顕著である。ノッティンガムのような都市は、さらに別の資料が必要とされる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
本務校での入試責任者の任期が今年度まで続いており、休みの間に大学を離れることができず、イギリスへの研究調査に行かれていない。研究実績の欄にも書いたように、都市によっては新聞広告だけで十分に買い物通りの再構築をすることは難しく、都市の議事録や改良委員会の記録を確認したいが、オンラインでは入手不可能である。買い物通りのデータベースを増やしていくためには、研究室からアクセスできるデータベースしかない。British Library Newspaperやセンサス、人名録に限られてしまうが、それらの資料に関してはコンスタントに情報収集・分析は進んでい る。 海外研究協力者とは時々連絡をとりあってはいるが、招聘に関しては日程がなかなかあわず、まだ具体化する段階には達していない。 当初4年間で研究計画をたてていたが、コロナ渦での研究の遅れを取り戻すことはできず、あと1年、延長することにした。
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今後の研究の推進方策 |
イギリスへの調査は、入試の仕事の関係で、来年の2月末から3月になってしまう。研究期間の最後に行かざるを得ないので、それまでの間に日本で入手できる資料を使い、今まで作ったデータベースをもとに、研究の発表を行いたい。まず、ベリ・セント・エドマンズの買い物通りの論文を完成させる。また、ベリとノッティンガム、イプスウィッチの比較研究に関しては、資料が不足しているものの、研究会等での報告を行い、他の研究者と議論を行いたい。 データベース構築は継続的に進めていく。作業をお願いしている学生アルバイトも3年目になり、入力を効率的に行うことができている。ベリ・セント・エドマンズと性格が異なるノッティンガムの分析を進めたいが、新聞広告の分析には限度があり、渡英で新しい資料を見つける必要がある。そのため、ノッティンガムの代替となる工業都市で新聞広告分析ができそうな都市を早急に見つけ、その都市のデータ入力をしたい。 現地に行かずに収集できる資料として、18世紀から19世紀に出版が相次いだ各都市の都市史があげられる。人名録の最初の都市紹介と合わせ、買い物通りそのものの直接的な記述は望めないが、都市全体の改良事業の進行状況は把握できるので、補助資料として使える。都市史と人名録の都市紹介からの情報をデータベースに追加する予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
入試関連業務で実質2年間拘束されることは当初からわかっていたので、研究1年目か2年目で渡英し現地で調査を行いたかったが、コロナ渦のためまったく動きがとれず、その後は学内業務で動きが取れなくなってしまった。1,2年目で支出予定であった渡航費を4年目まで使うことができず、その分がそのまま残ってしまっている。 研究期間の延長は早い段階で決断していたので、昨年も無理な使い方をせずに、必要な分のみの支出に抑えた。データ入力の学生アルバイトは、コロナ渦が終了し、不自由なく使えるようにはなったが、思ったほどは利用せず、長期休暇を利用して自分で行うことが多かったため、その分が余った。 今年、130万円くらい予算が残っているが、それらは国内研究者との議論や成果報告のための国内旅費と、3月に予定しているイギリスへの渡航費として主に使用する予定である。もし、海外共同研究者が訪日できる目処がたったら、11月に1週間程度、招聘することも考えている。
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