研究課題/領域番号 |
20K01832
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研究機関 | 東洋大学 |
研究代表者 |
幸田 浩文 東洋大学, 経営学部, 教授 (60178217)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 日本四大売薬 / 富山売薬 / 大和売薬 / 近江日野売薬 / 田代売薬 / 伊佐売薬 / 備中売薬 / ファミリービジネス |
研究実績の概要 |
本研究者は、これまで経営に関する技術・技法・技能などの経営管理論・経営組織論・マ-ケティング分野で用いる経営学的アプロ-チを用いて「日本四大売薬」(富山・大和・近江日野・田代)とその他の売薬地域(伊佐)について考察を加え、四大売薬に関して各々1編計4編、四大売薬の比較研究(まとめ)として1編、その他として伊佐売薬に関して1編の合計6編の論文を執筆した。その結果、わが国最大の売薬行商圏を誇った富山商人とそれらと競合する大和・近江日野・田代・伊佐商人の経営圏ならびに行商圏構築の発展の背景と過程が異なっていることを明らかにした。具体的には実績の内容は以下の通りである。 富山売薬は富山藩の積極的な売薬業への振興・保護ならびに統制施策、長期に及ぶ免税による支援政策、富山売薬商人の運命共同体意識と組織内規律、そして配置売薬方式の採用が、富山売薬業を今日まで維持・成長させてきた。大和売薬は江戸期には組織力・営業力の面で富山売薬の後塵を拝していたが、明治維新以降、大和売薬の老舗・三光丸本店は独自の組織態勢でその行商圏を拡大し大和売薬をまとめ上げた。日野売薬は、全国各地の近江商人や他の商人の店舗を取次とした委託・掛売・店頭販売方式を取ることで独自の物流網を構築し、誠実な取引による信用力と大当番仲間の結束力の強化を図った。田代売薬は、大正・昭和初期、第二次世界大戦下を生き抜き、その売薬行商圏を全国のみならず海外にまで拡大した。しかし、昭和50年代の製薬業界の近代化に加え、配置従業者の高齢化と後継者不足により、配置家庭薬産業自体は衰退産業に追い込まれてしまった。同様に、伊佐売薬も幕末期をピークに明治・大正・昭和と売薬業者は減少し、ついに第二次世界大戦下に消滅した。 以上より、これまでの研究の多くは古文書や史料を中心とした経営史や社会経済史からのアプロ-チによる文献研究であったことが分った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究者は、先行研究においてこれまで「日本四大売薬」地域を中心に、売薬商人の行商圏構築の史的展開と売薬商人間の競合関係を中心に考察を行ってきた。研究初年度(2020)には、江戸時代中期に備中国(現在の岡山県)で興り、かつて「日本五大売薬」の1つに挙げられる時代もあった「備中売薬」を取り上げ考察した。 日本の売薬の創薬・創業あるいは配置売薬の時代・年代は必ずしも史実的に明確になっているものばかりではない。とはいえ、備中売薬は、五大売薬の中では比較的早くから売薬営業がみられ、四大売薬と同様、元禄年間(1688~1704)前後には、売薬の製造・販売が行われていた。 本研究では、第1に備中売薬がいつ、どこで、誰によって創薬・創業され、どのような販売方法で営業されるようになったのかを明らかにした。第2に備中国の名物売薬とされている振薬・熊胆丸・万輪丸・道三丸・紫金錠、そして看板薬として愛用され続けた犀角湯・たこ薬・傘の下の由来や成分・効能などについて整理した。第3に備中売薬の展開を元禄(1688)から寛政(1801)までと、文化(1804)から幕末(1868)までに大別し概説・考察した。第4に、配置売薬の元祖・富山売薬の元祖と呼ばれる11代万代常閑と富山売薬の関係についての言説・伝説を繙き、その真相を明らかにした。 なお、2020年研究初年度の開始時期より蔓延したコロナ・ウイルス感染症の拡散により研究対象となった売薬地域への出張が予定通りに進まず、現地調査がままならず文献資料・史料などに大きく依存することになった。とはいえ、初期の研究成果を得ることで論文執筆に至ったことで、本研究はおおむね順調に進展しているといえる。なお、発表誌の紙幅の関係で明治維新以降の備中売薬の史的展開に言及することができなかった。その部分は次年度の研究成果に加えることにする。
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今後の研究の推進方策 |
第1に独特な経営理念・経営組織形態・流通システムにより、「日本四大売薬」といった売薬業が地域経営圏を確立してきた背景・過程、つまり成長プロセスを解明する。具体的には、①当該地域で売薬業による売薬行商が生まれた背景・過程に関する文献研究・実態調査を実施すること、そして②行商という本質的に初歩的な経営形態をもちながら斯業を今日まで維持・成長させてきた各地域における長寿・売薬企業の原動力を明らかにする。 第2に、江戸時代創業の四大売薬を中心とした斯業が明治期の政府による洋薬重視政策に対して生き残りをかけて、従来の和漢薬の製造・販売を継続する道と新たな洋薬の製造・販売の道を選択するに至った背景・過程を解明する。具体的には、①末裔の売薬(配置家庭薬)企業の経営理念・製造・販売・流通システム、ならびに②和漢薬から洋薬に転換した日本の代表的製薬企業の経営理念・製造・販売・流通システムを明らかにする。 第3に明治期に売薬(配置家庭薬)業としての生き残りの道を選択した現在の配置家庭薬企業の事業承継・後継者育成問題を研究調査する。具体的には、①江戸期より現在まで続く配置家庭薬企業を考察することで、いわゆる長寿(百年)企業としての生き残りの要件を浮かび上がらせること、ならびに②末裔の代表的売薬(配置家庭薬)企業と方向転換した代表的製薬企業の経営学的視点から比較考察する。 ①日本四大売薬地域から興った製薬・売薬業を今日まで企業として維持・成長させてきた原動力の解明、②末裔の製薬・売薬業として現在多くの製薬企業が所在する富山県、奈良県、佐賀県の代表的製薬企業の経営理念ならびにその流通システムに関する各社・各地域についての比較研究、③いわゆる長寿(百年)企業としての生き残ったスモールビジネスとしての売薬(配置家庭薬)企業の事業承継・後継者育成問題を中心に研究を進展させる予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
コロナウイルス感染症の拡大に伴う緊急事態宣言の発出により県境を越えての移動が制限されたことにより予定の研究出張ができず、旅費が未使用のため次年度に繰り越しとなった。当該旅費は2021年度の研究出張に充てることにする。
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