研究課題/領域番号 |
20K02425
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研究機関 | 埼玉大学 |
研究代表者 |
七木田 文彦 埼玉大学, 教育学部, 准教授 (40431697)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 合科型教科 / 保健体育免許状 |
研究実績の概要 |
戦後教育改革において誕生した「保健科」は、「体育科」との合科型教科「保健体育科」として発足した 。「保健科」は、誕生当初から、①担当教員の課題、②実施率の低迷、③学びの質の保障等、数々の課題を負っていた。そして、課題が相互に関係しているがゆえに、改革を困難にしていた。これらの課題に対する改革、政策、研究は、改善を目指す試みとして、授業における子ども一人ひとりの学びのあり方を探求する以前に、担当教員の問題や実施率の低迷等の改善に取り組まなければならなかった。これまで、数々の議論や改革への努力がありながらも、教科発足時から70年を経た今日においても、その何れの課題も十分に乗り越えられていない。 その理由を追究するには、まず、教科としての構造的欠陥によるものなのか、機能面における運用上の問題か、解決を目指す実践や研究のアプローチの問題か、政治・政策上の力学の問題か、または、その何れもか、これらを合科型教科「保健体育科」誕生の歴史を振り返りながら理由を顕在化する必要がある。本稿では、歴史的立場から「保健科」を概観し、これまで試みられた先行研究の収集と読解、批評を行った。 現在、「保健」の免許状のみを取得・保有しても教員採用はなく教職につくことはできない。本研究は、①戦後教育改革において「保健」の単独免許状交付に至る未完の「保健科」成立過程について明らかにすること、②戦後に誕生した教科は「保健体育科」(小学校は「体育科」)であるが、それとは異なる「保健」の免許状がなぜ準備され、今日まで継続しているのか、成立から今日に至る政策意図と各時期における同時代的改革のヴィジョンを明確にすることの課題に対し、史的アプローチによって史実の検討と改革のヴィジョンについて検討した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
初年に予定していた次の課題について検討した。 戦後教育改革において誕生した「保健科」とともに準備された「保健」の単独教科免許状の成立過程について明らかにすること、そして、戦後に誕生した「保健体育科」(小学校は「体育科」)と並行して「保健」の免許状が準備されたのはなぜか、その政策意図と当時の改革ヴィジョンについて検討した。 戦後に発足した「保健体育科」は、教育職員免許法施行規則によって「保健体育」の免許状を有する教員が担当するようにデザインされていた。しかし、これと並行して「保健」の免許状も準備されていたのには理由がある。両免許状の共存は、「保健科」と「体育科」の分離構想を現している。戦後教育改革において、戦中の国民学校体錬科体操衛生の内容を独立させ、「体操(体育)」と「衛生(保健)」を分離させる案、つまり、「保健体育科」ではなく、「保健科」と「体育科」を分離させた教科として発足させることが議論されていた。しかし、「衛生(保健)」を担当する教員が戦時下においては存在しなかったこと、そして、戦後新制大学による教員養成に同科目取得の課程認定案を策定し教育を委ねなければならなかったことが、戦後直後の分離案を断念させ、合科型教科としての「保健体育科」として誕生せざるを得なかった。しかし、新制大学における教員養成において、「保健」免許状取得者が増加したならば、そのときこそ教科を分離する構想として戦後改革はデザインされていた。この史実について、国立国会図書館憲政資料室のCIE文書、国立教育政策研究所教育図書館所蔵の重田定正文書、竹之下休蔵文書、IFEL史料をはじめとして、新たに発掘した文部省内部史料、各種学校史料等の一次史料の収集と読解を進め、批評を行いながら論文の執筆活動を行った。
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今後の研究の推進方策 |
二年目の予定として、「保健」免許状の新制大学における養成状況の顕在化と、それによって生じた状況の分析を行う。「保健」免許状単独保有者の教員採用枠が設けられなかったこと、そして「保健」免許状の新制大学における養成が進まなかったことが免許状取得者数の伸び悩みを生み、「保健科」と「体育科」分離改革案は後の改革をも困難にした(事実上の頓挫)。 文部省は、養成機関の充実を図るまでの間、同職の安定供給を、戦時下における試験検定、無試験検定の検定制度で代替するような案も検討していたが、戦後直後の混乱のなかで、養成システムを構築し、機能させるには至らなかった。 こうした状況を受けて、保健科は、後に「雨降り保健」と揶揄されるように、雨が降ってグラウンドにおける体育の授業ができない時間に行うもの、または、あまり行われることのない教科として、授業実施率低迷の原因へとつながった。これを解消するために、1998年に養護教諭の兼職発令によってこれを代替しようとの政策が打ち出されたが、今日においてもその改革は十分に機能しているとは言いがたい状況にある。制度的欠陥を有しながらも今日においてもなお修正されることなく「保健」免許状は存在のみが事態として残った。 以上の課題に対し、史的アプローチによってこれを実証し、未完の教育改革による教科・免許状、養成課程の固定化に至る変遷過程を解明しながら問題の本質に迫る。
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