保健授業の実態調査について北海道から鹿児島県までの教員(体育科・保健体育科教諭)20名にインタビュー調査を行った。首都圏の公立中学校における保健授業は常態的に2、3クラス合同で行われていた。このようなスタイルの授業は、保健授業において日常的に行われていた。「雨降り保健」の継続、体育の優位傾向は、手厚い教材の提供によって教員の力量を形成する機会を奪ってしまっている可能性が指摘された。戦後準備された「保健」免許状は、以上のような実態をすでに予想していたが故に「保健」と「体育」の免許状を準備し、分離する予定であった。 保健体育教師の保健担当の困難さは、保健授業の課題は教員の個人的特性によるものなのか、それとも保健体育教師の特性によるものなのか、または保健体育教師の意識と力量ではどうすることもできない構造的な課題が存在するのかが重要な検討課題として顕在化した。 また、保健授業のやりにくさは、教員が学習内容に「学ぶことの意味(meaning)」と「価値(value and worth)」と「効果(efficacy)」を見出していないこと、つまり「不確実性(uncertainties)」が教師の複雑で繊細な感情(sentiment)を生み出す要因となっていた。 さらに「保健の授業は、授業をおこなっても最終的には個人に帰すること」、「学んだ内容がいつ自身の役に立つかがわからない(本当に役に立つのか)」など、保健が個人に寄与する内容であるがゆえの責任回避となっていおり、これを時数の少なさに原因を求めたり、教材研究ができない状況に求めたり、教員になる際の動機に求めたりしてきた。保健授業の改善は、信頼(rely)と確信(certain)に裏付けられた教師の専門性(professionality)の開拓にこそ改善の視点があり、戦後「保健科」の分離を目指した文部行政は免許状分離を予定していた。
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