本研究は、琉球政府期の沖縄において(1952年~1972年)、ことばの教育がどのように展開し、沖縄の人々の生活や文化を変えたのか(変えなかったのか)を明らかにすべく、日本政府文部省の関与に注目して、琉球政府文教局が行なう教育政策および沖縄の教員たちによる教育実践の意図とその実態ならびに政策と実態との乖離について明らかにすることを課題とした。 本研究期間においては、大きく分けて次の二つに取り組むことができた。 第一に、文部省の沖縄教育への関与について、文部省が沖縄へ派遣した教育指導委員に注目して明らかにした。具体的には、①文部省がどのような制度のもとで、どのような立場にある人物を派遣したのかを明らかにしたことであり、②それらの教育指導委員による日本本土の教育課程や教育実践の沖縄への「指導」について、その一端を教科ごとの研究会(同好会)結成に注目して明らかにしたことである。教育指導委員による「指導」は、文教局が1961年度以降、沖縄の学校教育に導入し施行した学習指導要領に基づく教育課程政策の基盤の一部をなしている。 第二に、沖縄の教員たちがどのような教育実践を行なったのかについて明らかにするための史料調査を実施した。具体的には、沖縄教員のほとんどを組織する沖縄教職員会が主催する教育研究集会において報告討議された成果が集成された『沖縄教育』(1955~72年)を中心に、琉球政府文教局による『文教時報』(1946~72年)や、沖縄国語教育研究会などの教科ごとの研究会の刊行物を調査した。ただし、本研究期間では、それらの調査成果はごく一部しか論文に活かすことができておらず、2024年度以降に持ち越すこととなった。
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