研究課題/領域番号 |
20K02462
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研究機関 | 青山学院大学 |
研究代表者 |
山本 珠美 青山学院大学, 教育人間科学部, 教授 (60380200)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | 大学開放 / 大学拡張 / 開かれた大学 / 生涯学習 |
研究実績の概要 |
京都帝国大学は、明治40年代になると「大学拡張」の掛け声の下、一般公衆を対象とする通俗講演会(明治40年~)や夏期講演会(明治43年~)、あるいは開業医を対象とする医学講習会(明治42年~)といった、学外者のための学びの場を提供するようになっていた。その背景には、明治40年代に京都帝国大学がこれら大学拡張事業を主催するようになる以前から、多くの教授らが京都・大阪の既存の学外組織が主催する講談会・講習会に関与していたことが挙げられる。例えば、京都府教育会が主催する通俗講談会および教員講習会、大阪朝日新聞の叡山講演会(明治40年8月)、大阪毎日新聞の北陸巡回講演会(明治41年7月)など新聞社の主催事業である。このような明治30~40年代の学外組織の主催事業への協力が、のちに京都帝国大学主催の大学拡張事業へと繋がったと考えられる。 本年度は、第一に、明治30年に設置された京都帝国大学が、設置後10年間に京都府教育会とどのような関係を構築したか、京都府教育会の機関誌『京都府教育雑誌』(のち『京都府教育会雑誌』)を主たる史料として検討した。京都府教育会が新設の京都帝国大学とその教授らに何を期待していたか(大学に対する地域ニーズは何であったのか)、それが京都帝大にどのような影響を与えたのか、以上について明らかにした。 第二は、明治37~38年の日露戦争を契機に共生関係が構築された新聞社の動向である。新聞社が主催する一般公衆への知識の普及を目的とする通俗講談会は明治30年代末に始まるが、その端緒を開いたのは自らを“社会教育新聞”として位置づけていた読売新聞であった。明治39年、読売新聞が主筆足立北鴎のもと「ユニヴアシチ、エキステンシヨン」を掲げて通俗学術講演会を実施するに至った経緯を詳細に追うことで、大学拡張概念の定着過程におけるジャーナリズムの果たした役割の一端を明らかにした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
新型コロナウィルスの感染拡大に伴い、当初2年ほど他大学の図書館・文書館の多くが学外者利用を中止していた。そのため、副題に掲げている1960-70年代という時代に拘らず、「開かれた大学」思想の源流に関して調査を進めることで、不足分を補ってきた。しかし、これまで調査してきたことが1960-70年代にどのように繋がったのか、あるいは繋がらなかったのかについてまとめきれていない。
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今後の研究の推進方策 |
一年延長し今年度が最終年度となるため、以下2つの方向性を検討している。 ①過去数年にわたって調査してきたのは、明治30-40年代において京都帝国大学の開放方針がどのように形成されてきたのかということであった。京都帝国大学の取り組みは戦前の「開かれた大学」の思想的基盤となったが、それでは具体的に他大学にどのような影響をもたらしたのか、とりわけ東京帝国大学への影響に着目して調査する。 ②いわゆる「京都学派」の一人であり、1960年代末に『開かれた大学』を唱えた高坂正顕の議論と、戦前の「開かれた大学」の思想との関連性について調査する。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナウィルスの感染拡大に伴い当初2年ほど他大学の図書館・文書館の多くが学外者利用を中止していたため、1960-70年代の資料収集に遅れが生じた。代わりに、副題に掲げている時期から遡り、既に資料収集済みだったもの、ないしはデジタル化が進みアクセスが容易となった資料をもとに、「開かれた大学」思想に関して調査を進めてきたが、今年度は当初予定していた1960-70年代にも目を向けたい。主に資料収集のための旅費(東京-京都往復、2-3回程度)と報告書作成に使用する予定である。
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