研究課題/領域番号 |
20K02535
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研究機関 | 大阪教育大学 |
研究代表者 |
瀬戸口 昌也 大阪教育大学, 教育学部, 教授 (00263997)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | ディルタイ / 解釈学 / 教育科学 / 陶冶 / 精神科学 / ドイツ教育学 / 生の哲学 |
研究実績の概要 |
令和4年度の研究実績として、以下の2つを挙げることができる。 1.ディルタイの「精神諸科学の哲学的基礎づけ」における解釈学の位置づけについて。ディルタイは、精神諸科学を哲学的に基礎づけるために、心理学と人間学に加えて、解釈学を重視するようになっていった。この進展は、ディルタイの心理学研究(比較心理学)の発展から必然的なものであった。ディルタイ自身による解釈学研究は、次の2つの点が重要である。①精神諸科学の基礎づけのために、解釈学を「精神諸科学の認識論と論理学と方法論」の中に位置づけようとしたこと(解釈の普遍妥当性要求)。②解釈を行う者の内面に「変容」が起こること(解釈の陶冶的性格)。このようにディルタイの精神諸科学(教育科学を含む)の基礎づけにおいては、科学と解釈学と陶冶が密接に結びつけられているのである。 2.現代ドイツ教育科学における解釈学の位置づけについて。現代ドイツ教育科学において、教育科学の方法論に解釈学を適用しようとする立場は、その特徴として、①解釈を教育科学の方法論として厳密に定式化していく傾向と、②解釈の陶冶的側面を記述分析していく傾向という両極の間のどこかに位置づけられることが明らかになった。このうち報告者は特に、現代のドイツ教育科学において存在感を増しており、①の方法論的立場を主張している「客観的解釈学」に注目して、その特徴と問題点を研究した。その結果、「客観的解釈学」は解釈学を教育科学の方法論として厳密に定式化している一方で、その方法自体の認識論的基礎づけは不十分であることが分かった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究は、ディルタイが19世紀に構想した「普遍妥当的教育学」から、現代教育科学の「科学性」の意味を問い直すことを目的とする。この目的に照らして、これまでの研究成果をまとめると以下のようになる。 ・ディルタイは教育学を含む精神諸科学は、心理学と解釈学によって基礎づけられなければならないと考えていた。そのために、人間の心的生から科学的な諸概念と諸命題がどのように発生してくるのかを、人間の心的生の構造と、その客観的表現(学問・宗教・芸術など)の理解から記述分析しようとしたのである。 ・この記述分析によって、精神諸科学の基礎づけのための鍵概念―「心的生の獲得連関」、「作用連関」、「個別化の原理」等―が導出される。ディルタイによれば、精神諸科学の成立は、人間の生の連関に根ざしている。この生の連関は、人間個人においては心的生の獲得連関として個人の認識と行為に作用する一方で、歴史的世界においては人間の生を人間性や普遍史へと関連づけていく。このような作用連関の作用と構造を分析することによって、その規則性が明らかになり、精神諸科学の諸概念と諸命題の成立を基礎づけることができるのである。 ・ディルタイの精神諸科学の基礎づけは未完に終わったが、しかしこの企てによって、科学(教育科学)と解釈学と陶冶の関係は密接に結びつけられた。しかし20世紀以降、ディルタイの哲学と教育学が継承ないし批判されていく過程で、この結びつきに齟齬が生じるようになった。解釈学は解釈の普遍妥当性を重視する傾向と、解釈の陶冶的性格を重視する傾向という2つの傾向を持つようになったのである。 ・現代の教育科学において「科学性」を主張するのに、実験・観察・調査・統計など経験科学的方法による検証(反証)可能性と価値中立性を重視する立場に対して、思弁哲学的に価値と規範を重視しようとする立場の対立が、今なお存続している。
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今後の研究の推進方策 |
ディルタイの教育学と哲学研究、また、現代ドイツの教育科学研究の動向の分析を通して、報告者は現代の教育科学においてその科学性を保証するには、解釈学の導入と適用が有効であるという確信を強めるようになった。この確信を理論的に根拠づけるためには、かつてディルタイによって示唆されたにもかかわらず、現代では齟齬が生じているとされる科学と解釈学と陶冶の関係を、次の観点から考察する必要がある。 1.科学と解釈学の関係について。解釈学が科学であると言えるためには、解釈(理解)の客観性が保証されなければならない。この保証のためには、①解釈の手続きを方法論として定式化することと、②解釈の過程を認識論的に基礎づけることの2つが必要である。①については、現代では特に「客観的解釈学」が解釈の手順を具体的に定式化することを試みており、多くの研究実績がある。②については、ディルタイの「認識論的論理学」から「解釈学的論理学」への展開を文献研究によって跡づけ、生の哲学に根差した論理学(生の論理学)の研究を進めていく必要がある。 2.解釈学と陶冶の関係について。解釈が人間の陶冶にかかわるものであることは、ディルタイ以降の解釈学研究で指摘されてきた。解釈の陶冶的性格を理論的に基礎づけるには、①まず現代ドイツ教育科学において、陶冶がどのように理解され、研究されているのかを文献研究や学会の研究動向を分析して整理する必要がある。②次に現代ドイツ教育科学の陶冶理解が、19世紀の新人文主義的陶冶観からどのように変化しているのかを明らかにする。③その上で、解釈が陶冶にどのような影響を与えるのかを「生の論理学」の観点から認識論的に考察していく。 以上の1と2の研究結果をまとめて、現代教育科学における科学と解釈学と陶冶の関係を提示することで、本研究の総括とする。その成果を学会や研究会等で発表し、論文にまとめる予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
本研究を開始した令和2度年と翌3年度は、新型コロナ感染ウイルスの影響により、文献資料の調査研究や学会参加を目的とする国内外の移動は大きく制限されたため、旅費・交通費に当てておいた予算を消化できず、剰余分を次年度に繰り越す結果となった。令和4年度は後半から、新型コロナ感染ウイルスによる教育・研究活動の規制が緩くなったので、国内の学会活動は対面開催と参加が可能になった。それゆえ報告者は東京出張を2回行い(1回目は教育哲学会での個人研究発表、2回目は日本ディルタイ協会でのシンポジウム企画と運営)、旅費として予算を消化した。しかし海外への資料調査は、コロナ禍の影響もあってスケジュール調整が困難だったことと、本研究の進行が遅れ気味だったこともあり、見送ることにした。その結果、令和4年度中にすべての予算を消化することができず、研究計画を1年間延ばして、その間の研究費に当てることにした。 剰余分の研究費については、令和5年度を本研究の総括の年として、研究の進捗状況を考慮しつつ、文献資料の購入、国内外の学会・研究会等への参加費と交通費に使用する予定である。
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