研究課題/領域番号 |
20K02551
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研究機関 | 近畿大学 |
研究代表者 |
小田 義隆 近畿大学, 生物理工学部, 准教授 (50455094)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 青年師範学校史 / 青年師範学校同窓会史 |
研究実績の概要 |
本年度は、現存する青年師範学校に関する学校史や同窓会誌を収集することを行い、青年師範学校の専門学校程度としての教育内容の実際を考究した。青年師範学校の制度は、昭和19年に青年学校の教員を養成していた臨時的な青年学校教員養成所から青年師範学校に昇格させて成立させたものであった。さらに小学校教員養成を担ってきた県立師範学校が、専門学校程度の官立師範学校に昇格するのと同様に、専門学校程度の官立の学校として成立した。 昇格した当時は、太平洋戦争の真っ只中で、全国的に軍国主義的教育がなされていたが、青年師範学校における教育の実際は、その他の専門学校程度の学校と同様な関わり方をしていたことが明らかになった。そこでは青年学校に在学する勤労青年に農業を中心とした職業教育を行う学校であり、国防軍事教育の拠点としての性質を回避する努力を行っている記述が目立った。兵士となって敵を殺す任務より、学校の性質上、食糧増産や農地改良の方面で特色を発揮しようと指導した。 終戦後、専門学校程度以上の学校は単独昇格に向けての昇格運動が盛んに行われたが、その後の紆余曲折の末、各都道府県に国立大学を数校設置することとなり、その国立大学への包括の仕方は、文部省が実施計画を立案し国立学校設置法に基づいて設置されることとなった。大阪府下では、教員養成を主とする大阪学芸大学が、大阪第一師範学校、大阪第二師範学校を包括し成立し、浪速大学は教員養成を主とする大阪青年師範学校を含む、工業系・農業系・獣畜系専門学校を包括して成立することになる。 青年師範学校は昭和26年まで附属として存続したが、その間、旧制専門学校を意識し、卒業論文を作成しており、制度的に高等教育としての教員養成が始まっていたことが明らかとなった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本年度は、コロナウイルスの影響で、予定していた他府県の図書館への資料収集が行えず、図書館から資料収集及び図書貸借によって入手できる資料を中心に基礎的研究を行うにとどまった。
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今後の研究の推進方策 |
本年度は、各府県の感染状況を注視しながら現地に行き資料収集を行いたいと考える。とくに青年師範学校は、戦前の設置期間は1年であり、1951年に廃止されるまでの戦後の時期の方が長いためその期間にどのような改革がなされ、大学に包括されていったのかと、大阪における特殊事情の究明に努めたいと考える。
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次年度使用額が生じた理由 |
コロナウィルスの影響で、他府県での資料調査が行うことが出来ず、大幅に研究計画に遅れが出ている状況である。次年度は、オリンピックを開催するため、コロナウィルスを大きく押さえる政府の施策がなされると推察されるので、助成金を使用して全国的な調査を開始し、研究の遅れを取り戻したいと考えている。
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