研究実績の概要 |
生体膜における代謝や信号伝達などの生体機能はタンパク質の膜内流動によって制御されている。このため、モデル生体膜(ベシクル)を用いた膜の流動特性の解明が行われてきたが、理論モデルにおける測定可能な膜粘度範囲の制限などから、その流動性の全景については未だ明らかになっていなかった。最近、研究代表者はベシクル膜面上にマイクロインジェクションにより局所的な力を加えることで引き起こされる膜流動パターンを、球面上での流体力学理論[Henle and Levine, Phys. Rev. E (2010)]と比較することにより膜粘度を計測する手法を開発した。この手法を用いて生体膜の主要構成成分である3種類の脂質分子(飽和リン脂質DPPC, 不飽和リン脂質DOPC, コレステロール CHOL)から成るベシクルの流動パターンを、相分離によってできるドメインの動きによって可視化し、組成と膜粘度の関係を測定した。その結果、膜粘度は組成により3桁に渡る広範囲で変化することが明らかになった[Sakuma et al., Biophys. J. (2020)]。 本研究では、モデル生体膜の非対称性などの条件を段階的に生体膜に近づけ、最終的には生体膜の粘度測定を行うことで流動特性を支配する要因の解明を目指す。2020年度は糖鎖に見立てた高分子(polyethyrene glycol:PEG)でベシクル表面を装飾した場合には装飾しないベシクルと比較して膜粘度が1桁程度高くなることを発見した。2021年度はベシクルを用いたボトムアップの立場からのアプローチに対して, 実際の生物の細胞を使ったトップダウンの立場から, 線虫の初期胚にベシクルと同様にマイクロインジェクションによって水流を与え, 膜流動の様子を観察した. この結果, 細胞骨格と細胞膜の間に強固な相互作用がはたらいていることがわかってきた.
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今後の研究の推進方策 |
本研究ではモデル生体膜を段階的に実際の生体膜の条件に近づけながら膜粘度との関係を解明することを試みている。 2020年度は糖鎖等による生体膜の表面修飾が膜粘度に与える影響について実験の観点から調べ, ベシクルの高分子修飾の有無によって膜粘度が1桁程度変化することがわかってきた。2021年度はこの膜粘度の変化の原因について、流体力学モデルを立てて議論を行った。さらに実際の生体膜として線虫の初期胚に同様の手法で膜粘度測定を行った結果,細胞骨格が膜の流動性に大きな影響を与えていることがわかってきた。 これらの結果を受けて今後は、ボトムアップの立場から, ベシクルの二分子膜内外の非対称性やベシクル内外の溶媒粘度の非対称性といった条件段階的に実際の生体膜に近づけながら膜流動性を測定する。一方, トップダウンの立場からは線虫胚の受精卵と未受精卵の膜流動性を測定する。これらの双方向からの膜粘度測定により, "生きている"ことによる細胞骨格や細胞質から膜への力学的揺動という非平衡性が膜流動性にどのような影響を与えるのかを明らかにする。
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