本研究は、福岡藩・松江藩・萩藩・宇都宮藩の在方町の都市復原図を作成した上で、領国全体の空間整備の計画性の有無を読み解いていこうとするものである。 研究対象を近世前期在方町に絞り、特に代々藩主家が続く藩(福岡藩・萩藩)と藩主家が交代した藩(松江藩・宇都宮藩)を比較することで、領内の空間整備計画の存在の仮説を立証する。また、伝統的町並みの文化的価値を総合的に示すとともに、今後の街づくりに活用可能な資料として取りまとめることも目的としている。 本年度令和2年度から4年度にかけての研究成果をまとめる年で、福岡藩が御茶屋を核として在方町が整備され、萩藩は西日本としては市商業が残存し、中世からの変革が福岡藩ほどではなく中世的都市の名残りを残し、松江藩もまた、中世の名残を残しつつ、都市が改変されるも御茶屋を核とした都市の計画は見られず、宇都宮藩はそもそも御茶屋が見られず、本陣が宿の中心に位置することが明らかとなった。また、福岡藩では内野宿の都市復原図と内野町茶屋・箱崎宿の都市復原図と箱崎町茶屋の関係性の分析を進めた。また、町茶屋全体11箇所の分析を進め、町茶屋と在方町とは関係なく配置されていることがわかってきた。この成果を日本建築学会計画系論文集へ投稿した。さらに、松江藩安来御茶屋と在方町との関係を考察し、日本建築学会中国支部研究報告会で発表を行った。 これらの結果、はじめの仮説とは異なり、福岡藩の在方町の計画が特殊である可能性が高いという結果を導き出した。
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