本研究は、日本の近代化の初期の過程にあらわれた擬洋風建築について、旧開智学校校舎(長野県松本市、明治9年建設、国宝)をたてた大工棟梁・立石清重(文政12年-明治27年)に関する建築資料の分析を通じ、地方的展開の過程を実証的に解明するものである。具体的には、建築資料を用いて立石が手がけた作品の全体像や建築活動の具体を把握するとともに、A)建築資料の分析とB)建築遺構に基づく解釈に取り組み、洋風建築の受容と擬洋風建築の展開の過程を捉える。 令和5年度には、これまでに進めてきた内容をふまえ、以下A)・B)に取り組んだ。 A)建築資料の分析については、裁判所関係の資料に着目しながら、引き続き整理と分析を行い、洋風建築の受容に関する考察を進めた。 B)建築遺構に基づく解釈については、旧開智学校校舎を事例として特に技術に関する解釈を重点的に進めた。旧開智学校校舎では耐震補強主体工事が進められており、これにあわせて詳細な建物調査を行うことができた。建物調査では、顕在化した柱材の観察を通じて、旧開智学校校舎の木材利用の具体像を把握することができた。また、擬洋風建築としての旧開智学校校舎を特徴づける内外両面を大壁造とする壁の構法、クイーンポストトラスに類似する特徴的な小屋組の構法についても、その詳細を把握することができた。把握した壁の構法と小屋組の構法については、全国の擬洋風建築の類例と比較し、構法上の性質について考察を行った。 以上に加え、令和5年度には、得られた成果を時系列で整理し、洋風建築の受容と擬洋風建築の展開について考察を行った。同時に、本研究課題の今後の展開を見通した。これらの成果については、まとまり次第、研究論文として公表する予定である。
|