近代化の初期の過程において、最新の洋風建築の情報を収集した大工は、擬洋風建築と呼ばれる和洋が融合した建築を生み出した。本研究は、日本の近代化の初期の過程にあらわれた擬洋風建築について、旧開智学校校舎(長野県松本市、明治9年建設、国宝)をたてた大工棟梁・立石清重(文政12年-明治27年)に関する建築資料の分析を通じ、擬洋風建築の地方的展開の過程を実証的に解明するものである。具体的には、建築資料を用いて立石が手がけた作品の全体像や建築活動の具体を把握するとともに、建築資料の分析と建築遺構に基づく解釈に取り組み、洋風建築の受容と擬洋風建築の展開を捉える。
|