励起状態にある分子が脱励起し、同時に別の分子が励起される現象は、励起エネルギー移動(EET)と呼ばれる。EETの反応速度を推定するには、「電子カップリング」と呼ばれる相互作用を正確に計算する必要がある。しかしながら、従来法の双極子・双極子(DD)近似では電子カップリングの計算が制約される場合が多く、EETの研究はDD近似が適用できる系に限定されていた。この課題に対処するため、私は電子遷移密度や遷移多極子を用いた高精度な電子カップリング計算法を開発し、EETの研究対象を広げる努力をしてきた。 蛍光分子間のEETを利用して、生体内でタンパク質の動きなどを観測するための技術としてFRETバイオイメージングがある。この技術の応用により原理的には分子間距離の推定が可能であるのだが、実際に求められる数値の精度が非常に低いという問題がある。この原因は、EET速度定数式に代入される配向因子が常に2/3という定数であることにあると考えられる。そこで、我々は電子カップリング計算と分子動力学計算を用いて、正確な配向因子を算出する手法を考案した。この手法を人工色素A647と光合成アンテナタンパク質LH2の複合体に適用した結果、1.55という値が得られた。本計算により、この系の配向因子が従来使用されていた定数値(2/3)よりも大きいことが明らかになった。 LH2は2つのバクテリオクロロフィル会合体(B850とB800)で構成される。我々は高精度電子カップリング計算に基づくエキシトン理論を用いることで、B850では電子カップリングや電荷移動といった電子的効果が吸収波長の長波長化の主因であるのに対し、B800では古典的静電効果の影響が長波長化の主因であることを突き止めた。本研究により、LH2の吸収波長調節機構がB850とB800では大きく異なることを明らかにした。
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