研究課題/領域番号 |
20K05435
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研究機関 | 慶應義塾大学 |
研究代表者 |
藪下 聡 慶應義塾大学, 理工学部(矢上), 名誉教授 (50210315)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | ポリイン / 結合音強度 / 線形応答理論 / 非線形応答理論 / Morseポテンシャル / 光イオン化断面積 / 複素基底関数法 / 振動数依存分極率 |
研究実績の概要 |
分子の核座標変化と電子密度変化を、それぞれ原因と結果と捉えることにより、線形・非線形応答理論を用いて化学現象を総括的に理解する研究を行っている。一例として、π共役系直鎖ポリイン分子(C2nH2)において、両端CHのπg+πu変角振動結合音が、異常に強い吸収強度を持つ原因の詳細を調べた。その結果、(1)この結合音振動はCH局所変角振動の倍音と解釈出来ること、(2) CHはsp混成炭素のもので大きな極性をもつこと、(3) nの増加とともにπ共役鎖長が伸長しπ電子系の応答が強くなるため、CH変角に伴う電子密度変化が増大することを明らかにし、学会や論文で発表した。
分子の解離反応を扱うには、高い振動状態だけでなく解離極限より上に存在する連続状態も明示的に含める必要がある。その理論モデルの基礎として、Morseポテンシャルについて、変位座標rだけでなく, rの二乗や三乗の束縛-連続状態間の行列要素の解析表式を誘導した。新規に得たrの二乗や三乗の表式の主要項は、rの行列要素と同様に、解離極限を基準とする束縛状態とのエネルギー差、および注目する連続状態とのエネルギー差のそれぞれの2乗の和をローレンツ関数の分母に含む形式を取る。現在、その物理的な意味を明確にし、分光理論や衝突誘起解離反応などへの応用を計画している。
光イオン化断面積の計算手法として、複素基底関数法を用いて複素数の軌道指数を最適化する手法の有効性を示してきた。グリーン関数を用いた振動数依存分極率の表式における主値積分項とδ関数項が、それぞれ非同次方程式の非正則解と正則解に1対1対応することを数学的に証明することができた。これは、遷移モーメントが0の場合に最適な複素数軌道指数が実数になる理論的根拠を与えるもので、数値計算を効率よく行うために有用な情報である。また複素基底関数法を4成分相対論化するために、4元数を用いた定式化を進めた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
「研究実績の概要」で述べた3項目のうち、最初の分子振動の吸収強度の研究は、ほぼ予定通り進捗した。さらに電子密度変化を応答理論によって表現する際に、H原子上の基底関数の取り扱いにおいて、従来の考え方に変更を加えるような新たな視点を生み出す結果を得た。
Morseポテンシャルの解析表現は、従来から多くの研究者が扱って来た。それらの論文には、数学的誘導方法の詳細を明記しないものもあり、新たな式誘導には長時間を要した。しかし独自に誘導したこともあり、従来の表式に比べ、計算効率の高い表式を得ることが出来た。さらに重要な点は、その表式が衝突誘起解離速度などに関して物理的な解釈を与える点にある。この意味でこの研究成果には意味がある。
この数年間、光イオン化断面積の計算手法を、ステップごとに理論的側面から丁寧に調べてきた。グリーン関数を用いた表式と、非同次方程式の解の間の関係が明確になったので、数値計算手法を新規に考えることが可能である。以上の成果に基づき、それぞれの研究結果をまとめその論文を準備している。
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今後の研究の推進方策 |
密度汎関数理論に基づいて線形応答・非線形応答の考え方を使って分子振動の吸収強度を計算することは、本質的にcoupled perturbed Kohn-Sham方程式を解くことに対応する。特にH原子が移動する振動運動の数値計算では、従来、H原子核上の基底関数をその中心位置に関して微分した項を含めることが必要とされてきたが、この数年間の研究において、その項の大きさを見積もったところ、無視出来ることが分かり、その理論的根拠も、従来のcoupled perturbed Kohn-Sham方程式の表式を表現し直すことで明らかになった。そこで2022年度以降は、微分項の寄与を数値的に確認し、その基底関数に関する収束性も含めて検討する。
Morseポテンシャルの束縛-連続状態間の新たな行列要素の解析表式を使って、いわゆる振動子強度の和則(sum-rule)の成立を確認し、その有効性や計算精度を調べる。また、行列要素の主要項にローレンツ関数的な振る舞いが含まれることを、各種分光理論や衝突誘起解離反応の速度の立場から調べて、その数理的な意味合いを検討する。
複素基底関数法を使って光イオン化断面積を計算する際に、Cooper minimumが生じる振動数において遷移モーメントが0になるため、最適化した複素軌道指数が実数になる理論的根拠が明確になった。この特徴を既存の計算プログラムに導入することで、数値計算を効率よく行い、Cooper minimumを含む分子系でその効果を試す。
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次年度使用額が生じた理由 |
本研究を開始した2020年4月当初、ワークステーションを購入し、化学科畑中研究室に設置して使用することを計画した。しかし新研究室設置にともなって電力使用量は大きく増加した訳ではないため、新たに計算機を購入設置することは、電力事情を考えると不安である。このため前年度から、当面の数値計算は別途購入した計算ソフトMathematicaをパソコンに導入して行なっている。ワークステーションの購入は、今後の電力状況を見ながら検討する。2021年度は特に非平衡統計力学分野の図書を多数購入した。これは電子状態に対する線形応答理論、非線形応答理論をさらに発展・展開するために有用である概念的密度汎関数理論や、いわゆる「電荷平衡」の考え方を、類似した考え方や概念を含む非平衡統計力学分野におけるその発展状況を調べるためである。
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