複数の遺伝子に同時に作用する自然選択(多遺伝子選択,polygenic selection)が引き起こす迅速な形質進化のメカニズムを明らかにするため,(a)遺伝子座毎に独立した頻度変化を仮定する連鎖平衡モデルと(b)連鎖領域全体の頻度変化を追うハプロタイプベースモデルの比較解析を進め,連鎖平衡を仮定する近似理論の可能性と限界を探った. 遺伝子座間の連鎖平衡が近似的に成り立つとき,集団全体の進化動態は各遺伝子座における対立遺伝子の頻度変化によってほぼ完全に表現できるため,連鎖平衡モデルの計算効率は集団中の個体数(有効集団サイズ)にあまり左右されない.これに対し,遺伝子座毎の対立遺伝子の組み合わせを明示的に追跡するハプロタイプベースモデルでは集団サイズと共に計算量が増加し,解析可能な個体数が大きく制限される.このため,例えば急激な個体数増加を遂げた現生人類の進化解析には不向きである. 連鎖平衡を仮定する近似の有効性を吟味するため,ハプロタイプベースモデルが適用可能な定常集団の比較解析を進め,解析的に導かれた結果(Kimura 1969 Genetics 61:893- 他)とも照合しながら近似計算の妥当性を評価した.また,個体数が急激に増加した集団の一例として,ヒトの集団史を念頭に,複数回のボトルネック(急激な人口の減少)に続いて世代当たり数 % の率で増加する集団に着目し,適応上有利な突然変異が集団中に固定する速さを連鎖平衡モデルを用いて計算した.その結果,集団増加率が自然選択の強さに比べて充分大きいとき,集団が増加に転じて暫くの間,世代毎に固定する突然変異の数が期待値を下回る過渡期が観察された.固定する突然変異の一時的な減少は数世代に渡って認められることから,ヒトゲノムには正の自然選択の明確な痕跡が乏しいが,更新世末期以降の急激な人口増加がその一因となったことが推察される.
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