研究課題/領域番号 |
20K06909
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研究機関 | 福井大学 |
研究代表者 |
西住 裕文 福井大学, 学術研究院医学系部門, 准教授 (30292832)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2023-03-31
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キーワード | 発達期 / 嗅覚 / 刷り込み / 神経回路 |
研究実績の概要 |
生物は個体や種の存続のために、遺伝的にプログラムされた先天的な本能を司る神経回路によって、餌の探索や仲間の識別、天敵からの回避などの判断を下している。しかしこれら先天的な情動や行動の指令も、幼少の環境に適応可能な時期「臨界期」に、外界からの嗅覚や触覚、聴覚などの感覚情報によって、脳内の神経回路に変化が生じ、生涯に渡って影響されることがある。このような現象を「刷り込み」として、百年以上前にローレンツ博士らが報告している。卵から孵化した直後のアヒルが最初に見た動く物体を親と認識し、追従するようになる例は、視覚から得られた「刷り込み」である。また、サケは、幼魚のときに嗅覚で川の環境を「刷り込み」され、産卵時期になると、自分が生まれ育った川の匂いを辿り、遡上することが知られている。しかしこれらの研究では、どのような分子基盤で臨界期が定められ、どのような感覚情報で脳内の神経回路が変更され、刷り込みが成立するのかについて、ほとんど未解明である。 我々は長年、マウスを用いて嗅覚系の研究を行い、嗅覚神経回路を形成する分子機構などを明らかにしてきた。その過程で、例え先天的に「嫌い」な匂いであっても、臨界期に嗅がせておくと、成長後もその匂いが「好き」に変化するという、嗅覚による刷り込み現象がマウスにも存在することを見出した。そこで、この匂い刷り込みが、いつ、どのような仕組みで行われるかについて、分子・神経回路レベルで解き明かすことを目指す。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本年度は、以下の研究成果をまとめ、eLifeに論文を掲載することができたので、研究は順調に進捗していると考えている。 マウスの嗅覚による刷り込みの仕組みについて、分子レベルで明らかにすることができた。「セマフォリン7A (Sema7A)」タンパク質は、匂いを受容して活性化した嗅神経細胞で発現量が増加する。この「Sema7A」が、生後一週間に限って発現する「プレキシンC1 (PlxnC1)」タンパク質と結びつくことによって、特定の神経回路が増強されて、刷り込みが成立することが分かった。さらには、愛情ホルモンとも呼ばれる脳内タンパク質「オキシトシン」が、臨界期に嗅いだ匂いを脳内でポジティブな質感(心地良い、安心感のある匂い)として認識させる役割を持っていることも判明した。 通常マウスは、幼少の臨界期に嗅いだ巣の匂いや、仲間の匂いなどを刷り込みとして記憶し、成長した後もそれらの匂いに対し、心地良い、安心、愛着といったポジティブな匂いとして識別するようになる。しかし、前述した3つのタンパク質のいずれかが機能しない場合には、刷り込みが行われなくなり、その結果として、本来は非常に興味を示すべき仲間の匂いを避け、自閉症と同様の行動をとるようになることが明らかとなった。
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今後の研究の推進方策 |
本年度までの研究から、マウスには生後早期に匂い刷り込みの臨界期があり、臨界期に任意の匂いを嗅がせておくと、例えその匂いが先天的に忌避性の匂い(4MTなど)であっても、成体となった後もその匂いに対して誘引・愛着行動を示すようになることを見出した。そこで今後は、刷り込み記憶に誘引的質感を付与するメカニズムを分子・神経回路レベルで明らかにすると共に、好感的刷り込み記憶が如何にして忌避的な先天的質感を抑制するかについて、神経回路レベルで明らかにしていく。そのためには、匂いを嗅いだ時に活性化する脳内領野を解析し、刷り込みの有無によってどのような変化があるかを詳細に調べる必要がある。具体的には、immediate early gene (c-fosやegr1など)の発現を指標にin situハイブリダイゼーション法等を駆使して解析していく。我々は既に、先天的に忌避性の匂いである4MTを嗅がせると、扁桃体(皮質核、中心核、基底外側部)や分界条床核などが活性化され、忌避行動やストレスホルモンの分泌が誘導されることを確認している。そこで、臨界期に4MTを刷り込んだマウスを用いて、これらの部位の活性が抑制されているかを調べると共に、新たに活性化される部位がないかを探索する。これらの解析を通じて、匂い刷り込み記憶が脳内にどのようにして蓄えられるのかを明らかにし、好き/嫌いの相反した匂い情報が脳内に伝達された時、どのように裁定を下し、意思決定が行われているかについて、神経回路レベルで理解することを目指す。
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次年度使用額が生じた理由 |
次年度使用が生じた最大の理由は、新型コロナ感染拡大の影響である。移動制限や大規模集会の禁止により、学会活動の多くが中止あるいはオンラインでの実施となったため、計画していた出張旅費等が不要になった点が大きい。また、海外から取り寄せる必要があった、実験に使用する器具や試薬類の一部も、スムーズに年度内に入手できなかった。本年度の情勢を参考にしつつ、研究を滞ることなく推進し、得られた研究成果は可能な方法で発信できるように工夫していく。
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