研究課題/領域番号 |
20K11497
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研究機関 | 法政大学 |
研究代表者 |
永木 耕介 法政大学, スポーツ健康学部, 教授 (10217979)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 嘉納治五郎 / 柔道思想 / オリンピック柔道採用 / 柔道とスポーツ |
研究実績の概要 |
2022年度は、2021年度に引き続き、「嘉納治五郎は柔道をオリンピックに入れる意思は無かった」という点について資料をもとに研究を進めた。一つは、イギリスの武道会(Budokwai)に遺されている資料(武道会のリーダーであった小泉軍治と嘉納との会話録)について、武道会のメンバーであり当資料を武道会に保存したRichard Bowenによる著書等の検討によって新たに追究した。その結果、小泉軍治、Trevor Leggett、Richard Bowenら武道会の主要メンバーの柔道の捉え方は明らかに嘉納の柔道思想に影響を受けており、当資料についても嘉納が発したものであると傍証するに至った。この研究成果は「日本スポーツ人類学会第24回大会」において口頭発表した。 また、国内に遺る資料に関して、2021年度に「日本スポーツ人類学会第23回大会」において口頭発表した資料(嘉納の教え子へのインタビューに録音された、「柔道はスポーツではないからオリンピックに入れない」という趣旨の嘉納の発言)に加え、新たに別の資料を入手した。現在、当資料の妥当性について検討中であるが、以上の一連の研究成果により、「嘉納は柔道をオリンピックに入れる意思は無かった」という点についてはほぼ確実であると結論づけられる。今後、これらをまとめて学会誌へ投稿する予定である。 なお、戦前において「嘉納は柔道をオリンピックに入れる意思は無かった」ことを前提として、嘉納亡き戦後はどのような経緯によって1964年の第18回オリンピック東京大会に柔道が採用されたのか、その点について追究することが今後の課題となる。その点について、国内における資料はいくつか収集済みであるが、海外における資料収集がコロナ禍もあって未実行であるため、研究期間を2023年度末まで延長することとした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
「研究実績の概要」箇所でも示したが、2020年度からの研究成果により、「嘉納治五郎は柔道をオリンピックに入れる意思は無かった」という点はほぼ確証できたと思われる。次に、そのような戦前の柔道思想が戦後に変化し、結果的に第18回東京大会で柔道が採用されたことにはどのような経緯と要因があるのか。その点について、国内における資料はいくつか収集済みであるが、海外における資料収集がコロナ禍もあって未実行であるため、「やや遅れている」とし、研究期間を2023年度末まで延長することとした。
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今後の研究の推進方策 |
第18回オリンピック東京大会で柔道が採用された経緯と要因について研究している、Prof. Dr. A. Niehaus (Gehnt University, Belgium)氏と面会し、海外に遺された資料提供を受けながら意見交換する予定である。そして、同氏を研究協力者としてIOCアーカイブ(スイス・ローザンヌ)等において、資料の発掘に当たりたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
調査のために渡航予定であったヨーロッパ(ベルギー、フランス、スイス)周辺のコロナ状況が安定せず、自己の健康状態も考慮して渡航を中止したため、主に旅費が次年度使用額となった。
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