研究課題/領域番号 |
20K12779
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研究機関 | 慶應義塾大学 |
研究代表者 |
佐藤 真人 慶應義塾大学, 文学部(日吉), 講師(非常勤) (90839218)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | デカルト / 自然本性 / 自然の教え / 技術 / 共通善 / 表面 / 聖体問題 / 聖変化(化体) |
研究実績の概要 |
まず、デカルトの「自然の教え」の独自性を、ストア派の自然本性概念と対比することで浮かび上がらせた。知と徳の一致や、情念の統御法の重要性を強調した点など、自然本性についてのストア派とデカルトの考えには共通点が多いが、ストア派が自然に受動的に従うことを主張したのに対し、デカルトは、技術を用いて自然に能動的に働きかけることを重んじた。デカルトにとって技術とは、自然と対話する手段であり、技術の適切な使用は自然を補い、共通善を実現し、精神の充足をもたらすものであること、すなわち、自然学の考察が倫理学へ直接繋がるものであることを示した。 次に、デカルト哲学における自然学と形而上学との連関を示す具体例として、「表面」理論を考察した。デカルトにとって、表面には主に次の三つの働きがある。1)光を反射ないし屈折させる。2)物体間の運動を媒介する。3)延長実体の様態として物体の境界を画定する。デカルトが表面の機能を初めて詳細に研究したのは1)の点(『屈折光学』)においてだが、これがあくまで自然学の範囲に留まる研究だったのに対し、2)と3)の点は、パンがキリストの身体に聖変化する化体を説明するために用いられたことで、自然学を超え、形而上学にも関わる問題となった。本研究では、聖体問題をもとに公にされたデカルトの「表面」理論の独自性が、主に以下の三点にあることを明らかにした。a] 化体に残るのは感覚的性質ではなく、延長実体の様態としての表面であるとし、スコラ哲学よりも矛盾の無い説明を自然学的に果たしたこと。b]超自然の実体変化である化体を自然学的に説明することで、自然学の地平を押し広げるとともに、化体の本質を構成する信仰の真理の偉大さをより一層称揚したこと。c]自然な実体変化を人間において引き起こす心身合一の探究が部分的には明らかにされたが、その深化が以後の課題として残されたこと。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
まず、「自然の教え」とは何かを考察することで、デカルトの自然本性概念を人間の観点から分析した。「人間の観点」とは、心身合一体である人間の自然本性の弱さを技術によって補完するという意味であり、これが1]屈折光学による視覚構造の分析と視力の補完、2]機械としての人体構造の分析、3]自然学の知識の実践利用、によって果たされたのが『方法序説』までの成果である。これに関する『省察』の新たな取り組みは、「第六省察」での心身合一体の考察であり、具体的には、幻肢痛などに見られる心身合一の不具合が、人間本性の弱さの現れとして言及されたが、これは医学研究によって補完されることになる。心身合一体としての自然本性から生じる第二の問題は情念だが、これはデカルトが晩年に取り組むものとなる。本研究ではこれらの点を指摘し、医学と情念の問題は今後の課題として残されている。 次に、「表面」理論の考察は、前年までに研究者が取り組んできた、神の自己原因概念を論証する方法を構成する類比についての研究を補完するものである。類比は元来、数学研究から抽出された方法であり、これをデカルトは真理一般の認識に応用し、自然学では説明の便宜を図るための比喩として用いられたが、形而上学では因果律の観点から、作用因との類比によって神の自己原因概念を説明した。「表面」理論は、化体という結果から、化体における神の現れと感覚的性質の残存という二律背反的な問題を、矛盾なく説明可能にするデカルト独自の考察を成し、その本質は延長実体の様態であることから、類比とともに、幾何学あるいは数学の研究を基礎として神を考察したものであることから、これをデカルトによる「幾何学的神学」として本研究では位置づけた。 以上二点は、『省察』前後の中期デカルトの自然(本性)に関する考察の特徴を成すものとして、本研究で考察が進められたものである。
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今後の研究の推進方策 |
まず、『省察』に引き続く「諸答弁」や『哲学原理』における自然本性概念の現れを精査し、中期デカルトにおける自然本性の考察の特徴をさらに浮き彫りにする。そのためのアプローチとしては、自然学や心身合一体の面から行うものと、神の概念から行うものとの両面を軸として、今年度の研究におけるアプローチをさらに延長して補完するものとする。 内容面では、自然学・心身合一の考察においては、特にケプラー、ホッブズ、ガッサンディやパスカルらの理論と対比しつつ分析し、神の考察においては、特にトマス・アクィナスやスアレスらスコラ哲学の理論と対比して、デカルト理論の独自性を洗い出すことを目標とする。 そしてデカルトによる心身合一の考察は、一方では医学研究へ、他方では情念の研究へと向かうことになるが、それぞれにおける自然本性概念の特徴的な現れを調査し、今年度までの研究と関連させて考察する。神については、特に『哲学原理』での自然学の原理として考察・論証される神の特徴を、それ以前の神の考察(特に、「永遠真理創造説」の神、『省察』の神)と対比して分析する。 これは必然的に、『哲学原理』での自然学と、それ以前の自然学の内容や論証方法の相違についての考察や、「ユトレヒト論争」など、当時の神学者らとの論争を通じて明らかにされた観点を含む、多面的な分析となる。 これらによって、エリザベート王女やクリスティナ女王らとの書簡や『情念論』など、後期デカルトの倫理学的考察における自然本性概念の現れを検討するための道筋を整えることを、今後の研究を推進するうえでの基本的な方策とする。
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