研究課題/領域番号 |
20K12787
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研究機関 | 熊本学園大学 |
研究代表者 |
渡邊 裕一 熊本学園大学, 経済学部, 准教授 (60848969)
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研究期間 (年度) |
2020-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 啓蒙思想 / 近世イギリス哲学 / 自然法と実定法 |
研究実績の概要 |
刑罰の思想史を、啓蒙思想の文脈の中で理解することを試みた。すなわち、刑罰の概念から神学的・宗教的な要素が取り除かれ、刑罰の概念に(何らかの意味での)科学性が持ち込まれる契機について探究した。 上記のような観点から、本研究の副題でも掲げている近世イギリス哲学を概観してみると、ホッブズやヒュームなど、哲学の全般的理論から神の概念を徹底して取り除いた哲学者のうちに、「啓蒙」の要素を認めることができることが明らかとなった。その反対に、神の概念を刑罰の問題に持ち込む哲学者や思想家の議論は、(近現代的観点からの評価になるが)一種の神の呪縛をまとったものとならざるを得ないことが明らかとなった。 刑罰は、広く言えば犯罪行為に対する「報復」や「代償」であることは疑い得ない。現代ではそれらに加えて「矯正」の要素が加わるが、本研究がこれまで対象・射程としてきた範囲ではそこまでの議論の展開は見られない。 先述のように「啓蒙」の要素から刑罰を見た場合、「報復」や「代償」の主体や客体について「神」の概念を必要とする議論は、「反啓蒙」のうちに位置づけざるを得ない。しかし、それを結論とした場合、19世紀に勃興する法実証主義の登場を待たずしては、刑罰論における「啓蒙」はあり得ないことになる。そうだとすると、哲学・思想史全般といった抽象論としての「啓蒙」という時代の捉え方と、刑罰論という具体論における「啓蒙」の射程とには、大きな乖離が生じることにならざるを得ない。 そもそも本研究は、人道的刑罰の思想史を時代をさかのぼって拡張することを狙いとしてきたので、上記のような乖離を指摘するだけでは、従来の理解の枠組みのうちに留まっているように思われる。必ずしも、脱宗教性という意味での「啓蒙」理解に依拠しない議論の枠組みを、今後の研究では探っていきたい。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
いわゆるコロナ禍において、研究出張の機会(特に海外研究)が実質的に制約されていたため、現物・現地を見ることで得られるであろう知見を収集することが困難であった。また、並行して行っていた別の研究課題への参画において、当初の予定よりも調査の重複部分が少なく、それぞれ別個の調査・検証を進める必要が生じたため。
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今後の研究の推進方策 |
刑罰に関する哲学的議論と現実の刑罰との関連について考察する。特に、刑罰のうちに人道的配慮が取り入れられる契機について、ある意味では抽象的な哲学的議論と、刑罰の現場から生じる残虐性についての顧慮との関係について考察したい。過去に存在した刑罰の具体像を把握するために、2023年度中に国内・海外とも実地研究を行いたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
研究全体の遅延により、全般的に予定していた支出が未発生となっている。特に海外調査が行えていないため旅費等の支出が当初予定とは大きく乖離している。
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